明治大学公共政策大学院ガバナンス研究科に、3期生として入学。高卒の私が大学院に行くなどとは、露ほども思っていなかった。社会人向け、それも地方議員や自治体職員、民間企業の従業員などを対象とした大学院である。2008年には、 …
通算2期目。合併後は初めての任期。64人の議員が一堂に会する議会は、無所属議員にとっては、存在を示すことすら難しいものだった。かといって1期目のような自由な無手勝流のスタイルは返上すると決めていた。どんな状況であれ、まず …
「説明責任を徹底して果たす」「組織・団体の支援は受けない」―これを政治姿勢として、再び立候補した。敗れても失うものはない。辞職後の立候補だったが、臆するところはなかった。こだわったのは、参加した人が意義を感じる選挙の実現 …
華々しく見えたであろう議員辞職。しかし、その先の展望はなかった。まずは目の前の税金をどう払うか、が重要な課題だった。それまでの市民運動でお金は底をついていた。全てをリセットし、1から考えよう、そんな考えを持っていた。昼間 …
2001年1月、「議員の任期延長問題」を問う住民投票を求める署名運動を、事務局長としてスタート。結果、8191筆の有効署名を獲得し、合併直前の4月12日、臨時議会開催に至った。しかし、僅差で否決される。これを受け、公言し …
市内で市民団体が主催した講演会で、田中秀征先生と出会う。名刺交換した際に、先生が顧問を務める自治体議員の勉強会「都市政策研究会」に誘われた。以来、先生が塾頭を務める民権塾等で、先生を通じて、政治を学んでいる。政治を志すも …
与野市民が行なっていた「小さな与野いいじゃないか!」の市民運動に参加。3市合併に住民投票を求める運動だったが、ここでの活動が合併問題に取り組むきっかけとなった。自分の住む浦和市でも合併問題に関心を持って取り組む。3市合併 …
意を決して実家を出て、アパート住まいを経験。親に与えられた恵まれた生活、を自覚した。なんと甘えていたことだろう。当時のアルバイト月収は約8万円。そのため「最も安い」が唯一の条件。2万7000円、風呂なし。それでも一国一城 …
空手修行の合間に、「自分の生きる意味」について熟考した。突き詰めれば、「誰かのために役に立つ」ことこそ、生き甲斐だと気づく。司馬遼太郎著『竜馬がゆく』などを読んだ影響もあった。この頃は読書三昧。椎名誠、本多勝一、池波正太 …
「フリーター」の走りだったのかもしれない。生活の糧を得ることが大前提だが、単なるお金を稼ぐ場、ではなく、何かに挑戦する場として職場を選んだ。空手の時間を優先しつつ、生活の糧を稼ぐための仕事をアルバイトに求めた。高校卒業間 …