2001年1月、「議員の任期延長問題」を問う住民投票を求める署名運動を、事務局長としてスタート。結果、8191筆の有効署名を獲得し、合併直前の4月12日、臨時議会開催に至った。しかし、僅差で否決される。これを受け、公言していた約束を守るべく、2001年4月30日、議員辞職。浦和市議を全うしての辞職だった。合併には、効果があることも認めるが、自治体名が変わるなど市民への負担もある。これを決定する議員は率先して痛みを引き受けるべきではなかったか。そもそも住民投票にもっともなじむものだと考えた。合併反対の公約も実現できなかったことも、辞職の大きな理由の一つだ。多くの支持者や知り合いから慰留されたが、自分が公言したことを撤回すれば、自ら政治不信を招くと考え辞表を議長に提出した。