• 「猫の手貸します」

空手修行の合間に、「自分の生きる意味」について熟考した。突き詰めれば、「誰かのために役に立つ」ことこそ、生き甲斐だと気づく。司馬遼太郎著『竜馬がゆく』などを読んだ影響もあった。この頃は読書三昧。椎名誠、本多勝一、池波正太郎、等など何でもありの活字生活だった。そんな個人の問題意識が、やがては外に向かうようになる。自分の想いのまま、合併問題・環境・人権・歴史認識・原発・福祉・反戦など、各種の市民運動の会合に、少しづつ参加するようになった。議員となるきっかけも、ここにある。むさぼるように勉強をした。知的好奇心がくすぐられる毎日だった。社会問題のうち、特に核・原子力の問題に関心をもつ。振り返れば、父の出身地・広島の平和祈念館には、子どものころからかなりの頻度で足を運んでいる。ある時、広島の祖母に聞いた。「その瞬間、おばあちゃんはどこに?」と。当時2歳の父親を背負って畑仕事をしていた時に「キノコ雲」を見た、という。もし距離や風向きが異なっていたら…他人事ではない、自分の存在に関わる深刻なことと受けとめた。こうしたことから核廃絶には、大きな関心を割いている。いずれにしても、この時期は貧乏だったが、「空手のち市民運動のち読書時々めし」というハチャメチャな、しかし何とも充実した自己形成の時期であった。