• 「猫の手貸します」

華々しく見えたであろう議員辞職。しかし、その先の展望はなかった。まずは目の前の税金をどう払うか、が重要な課題だった。それまでの市民運動でお金は底をついていた。全てをリセットし、1から考えよう、そんな考えを持っていた。昼間の時間を政治の勉強に充てるため、夜中から朝までのコンビにアルバイトに従事。高卒・議員経験者では、なかなか就職先が見つからないという経験もした。一方、木をつけていたつもりだったが、議員として、いかに慢心していたのか、と反省する日々を送った。コンビ二は不況時でも生き残っているが、その陰で経営者は命を削る様相で仕事をしていた。酔った客に絡まれたり、万引きされたり、と私も犯罪に巻き込まれた。そんな生活の傍ら、いくつかの場所で合併の報告や自分の考えを述べさせていただいた。鹿児島・静岡・立教大学・黒磯・諏訪地域の議員・佐久青年会議所…等々。全国で推進される市町村合併は、各地域の自治に大きな影響を与えているようだった。この時期、自分一人で政治を1から勉強した。辞職したからといって、すぐにさいたま市議をめざす、と気持ちに整理をつけたわけではない。なぜ自分が政治に携わろうとするのか、を自問し熟考した。自分が政治家としてふさわしいのか、と。このころ小泉政権が誕生。構造改革路線を提唱する政権の誕生。硬直化した日本の政治が、大きな変化を遂げる期待感が高まった。様々な評価があるが、この政権が、政治への国民的関心を喚起したことは事実。従来の古い政治への挑戦こそ、自分の与えられた使命なのではないか、と考えを強くした。なぜ議員をめざすのか――その答えは、議会・行政そのものの構造を変えることにあると確信。これが2003年の選挙に出る決断につながった。