• 「猫の手貸します」

通算2期目。合併後は初めての任期。64人の議員が一堂に会する議会は、無所属議員にとっては、存在を示すことすら難しいものだった。かといって1期目のような自由な無手勝流のスタイルは返上すると決めていた。どんな状況であれ、まずはじっくり腰を落ち着けて、全体の奉仕者としての自覚を持った政治活動を心がけていこうと覚悟を決めた。無所属議員同士で会派を組む。政策集団としての意味を込め、議論に相当の時間を割いた。それでもこの時期は、市長派の与党的議員が過半数を占め、「ツンドラ」(永久凍土)といわれるほど、ほとんど動かない壁が存在していた。しかし、有権者への責任感から、責任ある発言を心掛けながら、目先の行動には与せず、選挙時の約束を守るべく活動を続けた。議会外の活動でカバーする側面もあった。この時期は蓄える時期、として、各種の研修には、内容本位で、時を選ばずに優先的に参加。事業仕分けに出会ったのもこの頃。「これこそ議会がやるべきことだ」そんな衝撃を受けたのは、横浜市の仕分け人として参加した時だった。明大公共政策大学院に入学したのもこの時期である。当選から一年目、公私共に支えてくれていた人と結婚。いずれにしても、この時期の私は、外での活動が主となり、当のさいたま市議会では、なかなか実績を上げることができない…そんな葛藤を抱えていた。この葛藤は、次の選挙で有権者に見透かされ、厳しい選挙の結果に結びつくのだった。