しばらくは随時名刺を掲載することでPROFILEに変えます。
以上、7月1日現在
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●2023年5月9日⇓
◆個人商店「猫手」を設立し届出ました。
5月9日、浦和税務署に個人事業主としての届出を出してきました。開業は「届出の日」としました。屋号は「猫手」。これが52歳の挑戦の肩書であり、道具であり、乗り物となります。
ロゴマークは、編集ソフトのCANVAを使って自作しました。もう何でも自分でやってみよう、という意気込みです。写真の通りです。
まず屋号「猫手」の由来です。「猫の手も借りたい」というコトワザがあります。その猫の手を「貸します」という趣旨で名付けました。これは土井は猫の手程度の力量であり、大きなことはできないけれど、まずは身近なところで土井ができるお手伝いや支援をしていく、という想いを込めています。
当面は、議員活動を通じて得た知見や人脈を活用したり、ライフワークの空手・太極拳、過去に経験した柔道の特徴を健康維持に活かした取り組み、などを模索しながら、社会に役に立つことを念頭に、自身の人生の時間の有意義な使い道を探っていきます。
とはいえ、もちろん、生活していかねばなりませんからね。いくら社会貢献の姿勢を持っていても、自立できなければ、その先には進んでいきません。運営が回るような、そんな緊張感も持って毎日を過ごします。いずれにしても流動的ですから、時々気にかけてやってください。
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●2023年5月1日現在⇓
【議員活動の終了と今後の人生について】
2023.5.1
昨日(2023年4月30日)をもって、議員の任期が終了しました。4月9日の「落選」という選挙結果を受け、間髪入れずに私は「議員活動の第一線からの引退」を表明しました。つまり今後においては自分が立候補をすることは無い、ということです。これまで、あまりにも多くの方に支えていただきましたこと、まずはこの場を借りてお礼を申し上げます。
引退表明に対し、「3045票への責任は?」「焦らずにじっくり考えればいい」「引退は逃げではないか」「捲土重来を期せ」等々の叱咤激励の言葉が続々と届きました。また、私の今や今後を心配したり、激励したりの連絡が今日もまだ届いています。「こうなるなら、もっと動けばよかった」「なんと声を掛けていいかわからなかった」など、こちらが恐縮してしまうほどの言葉も少なくありません。これらの言葉にも感謝しかありません。
政治家の出処進退に関する言葉は最も重いものです。撤回すれば即政治不信につながるわけです。それを重々承知してのものであり、軽々に発した言葉ではないことを、ぜひご理解いただきたく思います。はっきりと明言し退路を断つことで、新たな挑戦への道に進みやすくなる面もあります。むしろ今後の人生に向けて、想像を膨らませて気持ちが昂っているところです。
私は、これまで公務に身を置いてきた際に届いた期待や、蓄積された責任から逃れるつもりはありません。むしろ、立場は変わっても、異なるアプローチで社会や政治に向き合い、役割を果たしていきたい、と改めて決意を固めています。議員活動を通じて、多くの方々との知古を得ることができました。これは今後も何かを為すための縁であり、混沌と曇り模様の未来社会に向けて、そのご縁を積極的に活用して課題解決や新たな創造を生み出すことに繋げていきたいと考えているところです。
振り返れば、「悔いなき人生を歩みたい」と高卒直後に空手修行の道に入り、その後、市民活動に関わった流れで1999年27歳の時に、浦和市議会議員に初当選。2001年29歳で合併反対の立場を踏まえてさいたま市誕生の合併時に議員辞職。2年の深夜コンビニバイトを経て、2003年31歳でさいたま市初の選挙において2期目の当選。以後、継続して当選を果たし、結果的には計6期22年に渡り議員を務めてきました。
この20日間。荷物の整理とともに、過去を振り返る時間を得ました。随分いろいろとあった22年間だったなあ、と実感しました。
写真は2009年、清水市長が初当選して直後。秋に当時の会派で実施した「事業仕分け」の事前説明を、会派報告会している時のもの。恥ずかしながら、口を尖らせて、興奮して話している姿が滲み出ていますね。ともすれば「税金泥棒」と揶揄され、議会改革と言えば「議員定数・報酬・政務活動費の削減」である、という認識があまりにも世の中に広がる中において、さいたま市議会が機能する議会へと生まれ変わることこそ、最も目指したい目標でした。そのために、まずは会派が先頭を切って力強い監視役を務め、納税者への責任を果たす、という無我夢中の想いで行動していたことを思い出しました。これを含め、議会内でのことは、表に出ると政局に直結します。市長サイドにまで波及することを念頭に、言いたいこともできるだけ抑制的になるよう振る舞いました。公務の任を解かれた今後は、差し支えない範囲で過去を振り返り、広くお伝えしていきたい、と考えています。
くり返しになりますが、ここで私自身の議員活動は終了します。落選という代償を得ましたが、それでも自らの拘りを貫くことができ、20年を超えて矜持を保つことができました。組織や団体に依存せず、想いを届ける方式の政治・選挙活動にこだわる私のスタイルに対して、期待し応えてくださった有権者の存在無くしては為しえなかったことであり、身近な民主主義の畑耕しを共同作業で取り組めたことは最も貴重な経験となりました。議会内では、思い切った言動を積み重ねることが出来ました。悔いはありません。この経験において得たものは、今後の私の人生の中で社会に対し、お返しをしていきたいと考えています。
今後については、「あれも」「これも」やりたい、という願望レベルのイメージが思い浮かぶ中、それはそれで楽しみが広がる一方、現実生活を成り立たせるための収入をどう得ていくのかという具体策にまでは至っていない状態です。せっかく22年も公務を務めさせていただいたので、どこかに就職して会社員に、ということでなく、これまでの活動の延長に身を置いて、様々なことに挑戦することから始めてみよう、と考えているところです。
なので、小まめに私の「新たな人生への挑戦」の模様を、広くに発信しながら多くの方々に共有してもらい、時には一緒に行動を共にしてもらう、というようなイメージで考えています。見捨てられないように、「良い人」になるよう努力しないと…。
そんなことで、下記に「これまで」「これから」を整理して記します。
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これまで
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●土井の人生のプロフィール
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議員活動
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●議員活動の変遷
https://www.facebook.com/doih.net/posts/537596191745038
●議会での発言
さいたま市議会web「インターネット議会中継」
https://saitama-city.stream.jfit.co.jp/…
さいたま市議会web「会議録検索システム」
https://ssp.kaigiroku.net/tenant/saitama/SpTop.html
※「検索」をクリックし「発言者」から「土井裕之」を選んでいただきますと、これまで平成15年以降土井が本会議・委員会において発言した記録が記されています。
●2023年「さいたま市議選」公約
●2019-2023「市政検証」
https://doih.net/…/2023/03/20230303_4years_20192023A3.pdf
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今後について
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●議員活動の延長
「61番目の議員」として「#さいたま市政ウォッチ」を発信
https://twitter.com/…/%E3%81%95%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81…
⇒Twitterにおいて発信
地域政党「挑戦の総括」ほか
⇒さいたま市政における地域政党を設立した挑戦は、決して筋違いではなかった。火を消さぬよう取り組みたい。
各種政治活動
⇒さいたま市を含む日本社会全体への視点で考えを発信したり行動したり。
⇒「さきがけ新塾」の事務局長として引き続き活動
⇒「さきがけの5綱領」「転換期の社会・政治変革」「いざという時に鎖国のできる国づくり」
●空手・太極拳
空手道功武館
https://www.facebook.com/profile.php?id=100083027064255
⇒ライフワーク、子供たちの指導など
太極拳
http://saitaikyo.3zoku.com/index.html
⇒梨陽太極拳教室にて学んでいる
⇒将来は関係資格を取得して介護予防などの事業を目指したい。
●個人事業
各種事業への挑戦
⇒これまでの人脈や関係性などと通じ、様々な事業に挑戦してみたい。
⇒例えば「広報」「研修」などなど。
⇒法人格も「個人事業主」「会社」など、展開によっては様々考えたい。
⇒各種資格の取得も視野に入れねば。
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今後の情報発信
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●リニューアルしたメルマガ発信
メルマガの発行(週1回を目指す)
⇒ doi@doih.net
●Twitter/Instagram/Facebook/TIKTOKなど
外への広がりや汎用性を考えるとTwitterをメインに発信する。
「#さいたま市政ウォッチ」はTwitterで。
⇒各種イベントや事業などの情報は随時それぞれの媒体で発信する
⇒TIKTOKは各種問題も指摘されているので、慎重に活用する
以上。
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●2023年4月10日⇓
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【選挙結果】
さいたま市南区・選挙区
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/touitsu/11/18880/skh52387.html
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【「落選」という結果を受けて】
◆選挙の結果「落選」となりました。
◆これまで支えてくださり、ありがとうございました。
▶さいたま市議選・南区
有権者数15万5417人/投票率39.52%
11位(定数9人)土井裕之 3045(5.0%)=落選
●投開票日当日。今回も開票所に足を運び、私に投じられた投票用紙の束を見て、自分の得票への重みを実感してきました。結果的に落選はしたものの、このような票を投じていただいたことを記憶に留め、忘れずにいたいと思います。
●結果を受け、私「土井裕之」に期待し、応援くださった皆さんのことを想うと、悔しさ、至らなさ、そして申し訳なさが、次々に胸に込み上げます。たくさんの方々が自分の生活を犠牲にして、選挙の応援に汗を流し、足を運んでくださった。そして投票所に足を運び、私の名を記してくださった。これらの光景が目に浮かびます。しばらくは、この複雑な思いを抱えて生活することとなりそうです。
●私は自身の選挙での「落選」は、民主主義における「民意の発露」であることから、その民意に従い「即時に政治の世界から退く」と公言してきました。その通り、これをもって政治の第一線からは引退します。ただ、「引退する」とは言っても、私はこれまで6期にわたり議会に送っていただき、税金の待遇を受けるなど公的性の高い役割を担った立場です。身に着けた政治的蓄積は決して私個人だけのものではないと認識しています。その蓄積を、「新しい政治」への進展に向けた活動に役立てるなど、今後も積極的に地域政治に関わっていくことをお約束します。
●振り返れば、1999年に27歳で初当選して以来、辞職した後の初のさいたま市議選で2期目の当選、そしてその後も含め、計6期にわたり、私は市議に当選をし続けることができました。
●特筆すべきは、これが組織や団体に依存しない「完全無所属」という立場で成し遂げたものだった点です。組織選挙がものをいう大都市の選挙において、ある意味、有権者との共同作業で奇跡を起こした、と言えると自負しています。さらには、選挙のために口汚く他者を批判し「自分だけが正しい」としたり、「自分が○○をやった」と稚拙なアピールをするような旧来型の手法も取りませんでした。それでもなお、6期も当選を続けることができました。これは、有権者の皆さんと私とで、さいたまの民主主義の醸成に一石を投じた、ということであり、私の人生の中で誇らしく輝かしい経験となりました。
●今回の落選は、私の人生における大きな転換点になったことは事実です。今後についてですが、具体的には未定であり、まずはお世話になった方々へのご挨拶やあと片付けをすませ、新たな人生に向けた準備を進めます。長い間、大変お世話になりました。これまで土井裕之の活動を支えていただき、ありがとうございました。そしてまた、今後とも新たな「土井裕之」とお付き合いください。
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●お読みいただきありがとうございました。
▶土井 裕之
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●2023年4月9日まで⇓
◆少年時代。
小学生高学年で同年齢の親しかった幼馴染と従兄弟が、立て続けに病気で亡くなった経験は、「命の有限性」を、未熟な私に強く印象付けました。自分にもやがて降りかかる「死の恐怖」。葛藤の日々は続きました。が、やがて「かけがえのない一度きりの人生を悔いなく生きる」という流れに向かいます。こうして、生きている時間の質を問う人生が始まりました。
◆高校卒業、社会への船出。
新たな人生の転機は高校卒業がスタート(1989年)。空手修行を通じて心身に芯を得ることができました。以来、空手は無くてはならないものに。そうして心身の自信を身に着け、自我のバケツが満たされてくると、今度は社会のために貢献できることに関わりたい、という想いに至ります。アルバイトの傍ら、市民活動の世界に足を踏み入れ、物事を視る目の幅を広げることとなりました。
◆思いもかけない政治の世界、そして辞職。
その延長上で、そうこうしているうちに思いも寄らず、政治の世界へ。27歳「当選度外視、意見表明」を目的としての浦和市議への挑戦(1999年)だったのですが…。当選の瞬間まで、自分が政治家の道を歩むとは、微塵も思っていませんでした。そんなことで始まった初の政治の舞台は、当選から2年間にわたり、投票に足を運んだ人々の想いを強く意識し、無我夢中・猪突猛進の1期目の日々を過ごしました。「守るべき街・浦和市」が失われる前の日、筋を通すために議員辞職を決行しました(2001年)。
◆議員辞職後、アルバイトの2年間は人生最大の修行
政治を自ら離れ、深夜コンビニのアルバイターとして汗を流す日々は、人生最大の苦行でもありました。公職を離れたにもかかわらず、それでも支え続けてくださった方々の姿は、今でも鮮明に忘れることはありません。そして逆に、先の見えない繰り返しの日々に耐え、自分の慢心も省みて地に足が着く機会ともなり、徐々に再び政治の世界への想いが募っていきました。新たに誕生した自治体「さいたま市」の初の選挙で、有権者からの信任を得て、改めて政治の世界に足を踏み入れました(2003年)。
◆政治の師匠としての田中秀征先生
初当選直後(1999)に、たまたま浦和で開催された講演会に参加した際、講師の田中秀征先生と名刺交換をさせていただきました。これ以降、政治における師匠として、先生から学び続けています。「新党さきがけ」の理論的支柱、細川政権の首相補佐、経済企画庁長官など国会議員としての実績、議員の立場を離れてもメディアを通じた明快な発信、そして賢明な国民を基盤にした政治刷新への一貫した姿勢には、常に私自身の姿勢を省みる鏡となっています。『田中秀征の論跡』(近代文藝社)は、私の座右の書です。
◆明治大学大学院で青山佾先生と知己を得る
議員2期目後半に差し掛かった時、当時先輩議員だった吉田太さんから明治大学公共大学院にお誘いをいただき入学(2006年)。青山佾先生との縁をいただきました。中途入庁の東京都庁を副知事で終え、明治大学の教授に就任し、自治体の政治家・公務員・民間人に自らの経験を出し惜しみすることなく、お伝えいただくとともに、国内外のキーパーソンや現場とつないでいただき、2008年の卒業後も議員活動のみならず人生の示唆をいただいています。先生の自己犠牲と公への献身の姿勢は、何よりも学ぶべきものです。
◆20年を超える月日
こうして幾多の知己を得て、「今、この時代に政治の舞台に送っていただいている意味」を噛み締め、責任勢力としての自覚を持ち、覚悟をともなっての言動を意識して政治に向き合ってきました。「見返りを求めない支持者」からの応援を元に、議員の任を継続して務めさせていただき、その積み重ねの月日は、振り返れば20年を超えていました。
◆22年目の新挑戦
もう議員通算6期を務め、集大成の時期となりました。完全無所属を貫き、国政政党からの誘いを断ってきたのは、選挙のために自分を曲げたくはない、という瘦せ我慢から。アフターコロナの構想が求められる中、退路を断ち挑戦する志を持った仲間たちと「地域政党さいたま未来プロジェクト」を設立(2023年)。ついに政党を結成することとなりました。小さな政党ですが、人物・政策本位で集まった仲間4人とともに、市内を疾走しました。結果は厳しいものとなり落選。3045票を投票したことへの想いは、忘れることはありません。
◆落選、議員引退、新たな人生
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■1971年5月4日 浦和生まれ
■幼少期:
大谷口幼稚園
大谷口小学校
大谷口中学校卒業
■高校:
川口北高校
■大学院:
明冶大学公共政策大学院・修士
※大学には入学も通ってもいない。
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■柔道歴:1977~1988年
修心塾
大谷口中学校柔道部
川口北高校柔道部(途中退部)
■空手歴:1990~現在
功武館
■太極拳歴:2015~現在
梨陽太極拳クラブ(埼玉県太極拳連盟)
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■議員歴:合計6期
浦和市議1期(1999~2001年(合併前日に辞職))
さいたま市議5期(2003~現在)
■所属政党:
完全無所属(1999-2023)
地域政党さいたま未来プロジェクト(2023~)
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■これまでの議会での立ち位置の変遷
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■勤務歴:
セブンイレブン/野菜加工工場
/警備員/宅配配達員/電話帳配達
/埼玉県経済連戸田青果駐在所
/ホームセンター神棚管理
/喫茶ロイヤル(厨房)
/ミニストップ/自治研センター
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■資格等:明冶大学公共政策大学院修士
/防災士/上級心理カウンセラー(全心連)
/柔道初段/空手道十段師範/太極拳3級
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■所属団体等:
●明治大学地域ガバナンス研究所=客員研究員
●空手道功武館=師範
●さきがけ新塾=事務局長(田中秀征塾長)
●一般社団法人都市調査会=副会長(青山佾代表)
●明治大学校友会浦和・与野地域支部=幹事長補佐
●明治大学校友会埼玉県東部支部=企画委員会委員
●埼玉県太極拳連盟
ほか
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