• 「猫の手貸します」

15人立候補のうち9人定数で9位。つまり最下位当選。有権者による、私の議員活動への率直な評価だと受け止めた。むしろ、組織や団体に依存しない私の名を、わざわざ投票所に足を運んで記してくださった3573人の方々の期待に応えられるよう、気持ちを切り替えて臨んだ。「機能する議会へ」「本筋の行政改革を」―。これを行動の柱として訴えたが、これは具体的には「議会での事業仕分けの実施」を念頭に置いたものである。当選後に行財政改革特別委員会・副委員長に就任。委員長や各委員とともに議論を積み重ね、市長サイドの協力を得て、2009年4月には、思考的という条件付きの事業仕分けの実施に結びつけた。ちょうどこの頃、この頃、私の所属する無所属の会と民主党市議団との合流による、「民主党・無所属の会さいたま市議団」が結成される。議会改革・行政改革を他の誰よりも自認する政策集団の結成。2009年5月には、市政を刷新するべく新市長を擁立し、見事に清水新市長誕生に結びつけた。この選挙はまさに自分の戦いであり、総決算でもあった。扉は開いた。2010年秋。会派主催の事業仕分けの実施に向けて準備を進めている。実施されれば議会実施は、全国で3例目。私の公約も何とか果たされるということとなる。この会派により、時期統一地方選に向けて共通マニフェストを作成する方向性にある。2009年には市民生活委員会の委員長に就任。委員長職は初めてであり、他の委員に助けられながら、前例にこだわらない積極型での運営を心掛けている。2009年6月には、盆栽枯死事件が発生したが、議会の自治法98条の検査権が発動され、当委員会に付託されて、委員会を上げて検査・調査をした。結果、市長サイドに「当事者意識が欠落していた」と厳しい指摘をすることとなった。議会の変化は加速度を増している。