「説明責任を徹底して果たす」「組織・団体の支援は受けない」―これを政治姿勢として、再び立候補した。
敗れても失うものはない。辞職後の立候補だったが、臆するところはなかった。
こだわったのは、参加した人が意義を感じる選挙の実現。余計な行掛かりをつくらず、自由な立場で活動していくことを重視した。あくまで有権者に対する約束を提示し、それに対して支持を得るスタイルにこだわりたかった。田中秀征先生には応援の文章を頂き、3月8日には、さいたま市まで足を運んで講演をしていただいた。
そんな流れで迎えた選挙。
4月から政令指定都市となり、選挙区は行政区の9区に分かれた。私は実家のある「南区」からの立候補。ともかく当選第一主義ではなく、「政策決定の主体の転換」を訴えた。未熟な私の話に、真剣に耳を傾けて聞いてくれた市民の存在には胸が熱くなった。帰りがけのサラリーマンに声をかけられる。マンションの上階から、わざわざ自転車の私に手を振って応援して頂いただく。こうして選挙期間を、充実感を持って終えた。
その先に当選があった。それもトップでの当選だった。いくつもの奇跡的な出来事に感動する一方、強い責任感や重圧を感じた。選挙で提示した約束を実行することへの「期待」から投じていただいた票であり、議員としての実績に乏しい私は、行動で示さなければすぐに信頼を失う立場だと考えた。