• 「猫の手貸します」

その時。私は法廷にいた。
私が原告の名誉棄損裁判。
自身の名誉にかけても、
この裁判は結果を出さねばならない。
この日は、それまでの書面でのやり取りではなく、
口頭でのやり取りがおこなわれていたのである。
私が真中の証言台に座り、
弁護士や被告からの質疑を受けている時だった。
大きな横揺れ。
最初は自らの所作によるものだ、
と瞬時に考えた。
が、その直後には、
裁判長も含め、地震であること、
それも相当な大きさであることが、
誰れ彼れなく確認された。
船にでも乗っているかの様な揺れは、
以後も断続的に起きた。
その都度、裁判は中断され、
ドアは、もしもの時のために、
開け放たれていったん休憩され、
一同が推移を見守るという異例の事態となった。
私は直感した。
大きな横揺れは、これまでの経験から、
他の地域での大きな地震の可能性を想像した。
東日本大地震。
結果的に歴史的な激甚災害であることが、
時間を追うごとに明らかになってきている。
地震は火事や津波も引き起こし、
多くの人命を奪っていく。
さらに今回は、原子力発電において、
重大な事態すら迎えている。
このような歴史的大震災について、
私自身が何ができるのか、
問われていると感じた。
一昨日から昨日にかけて、
被害地の調査や人命救助を目的に、
東北地方を目指した。
仙台までは無理をせず、進まなかった。
ある海岸に面した水田地帯。
向こうに海岸線を望む。開けた場所である。
それまでであれば、防風林が左右に広がり、
美しい光景の水田の広がる、
海の近くの静かな地域であったのだろう。
この地で、変わり果てた目の前に広がる光景を、
ただただ茫然と眺めていた住民たちを見た。
と、住民に呼ばれる。
亡くなっている方がいるので、
御遺体を運ぶのを手伝ってほしい、
という話だった。
まだ、自衛隊も到着していない中、
その場に奇跡的に生き残った住民がおり、
結果的に瓦礫の山を励ましながら連れ出し、
病院に搬送するところまで関わることとなった。
短い時間であったが、
歴史的な災害の一端を目の当たりにし、
何かしなければならない、
と自分に言い聞かせている。
この項以降、
さいたま市の被災状況も含めて、
いくつか関連のブログを掲載したい。