• 「猫の手貸します」

任期最後の2月議会も、
いよいよ最終版を迎えている。
この4月には、
市議会議員選挙を控えているからだろうか。
それはそれは、
今まで経験した事のないような、
驚くべきことがいくつも起きている。
議会の質を貶めるような類のことである。
市議会議員選挙を前にした政局的な行動。
有権者から見えない、ということを理由に、
議会内では見苦しい行為が
いくつも見受けられるのである。
そのうちの一つを紹介したい。
この議会において、
議案や請願の中には、
閉会中における審議の「継続」
という扱いにされる案件がある。
それも複数だ。
もう一度繰り返す。
この議会は「任期最後の議会」である。
特別な臨時議会が開催されるならまだしも、
おそらく選挙を控える中、
議会の開会は最後である。
議会はこの後には予定されていない。
それなのに審議を継続する…
つまり。
任期最後の議会における
継続の扱いは「廃案」を意味する。
4月30日の任期を持って議員は自動的に失職する。
その後は新たに選挙で選出された議員が
5月1日からの新議会を構成する。
議会での審議はこのタイミングで自動的にいったん流れが切れる。
ここで継続扱いとされた議案・請願などは葬られてしまう。
つまり、議会は賛否の判断をせずに案件を葬る、
ということである。
私はこれほど卑怯で、
議会としてあるまじき行為はないと考えている。
議会は意思決定機関である。
税金の使い道も自治体の意思も、
議会が決することとなっている。
これは法律上の権能として位置付けられた重いものだ。
この議会を構成するのが議員。
議員の役割を、
キャベツをむくようにはぎ取っていくと、
最も重要なのが、
この意思決定のための「判断をする」という行為である。
議員は、判断をするためにこそ、
有権者から信託を受け、議会に送られているのである
つまり、この判断をする行為を放棄するなら、
議員としての存在意義が問われるのである。
少なくとも私はそう考えている。
しかし実際のところ。
今、市議会において、
継続がいくつも乱発されそうな状況にある。
これほど卑怯で、あるまじき行為に賛成する議員が、
現在のさいたま市議会では過半数を超える模様だ。
その結果、議会は賛否を明確にしないまま、
議案・請願を事実上の廃案とすることとなる。
大変残念である。
何のための議会基本条例の策定だったのか。
結局、旧泰然とした議会の姿が、ここに存在していた。
議会が決定することを放棄する…
議会の最も重要な役割を放棄するというのは何とも情けない。
「議案に反対であり、継続は事実上の廃案なので、
 反対の意思表示でも、継続でも、どちらの判断でも同じだ」
と議会内外で嘯く論も、
継続賛同の議員から出るかもしれない。
が、騙されてはいけない。
任期最後の議会における継続の決定とは、
議会にとって最も大切な判断することを
「放棄」する行為なのである。
議会が継続することに賛成するということは、
ここに加担するということだ。
一度たりともこの行為に踏み出すのは、
禁断の果実を口にするようなものだろう。
残念ながらさいたま市議会では、
この行為に賛同する議員が過半数を占める模様だ。
現在の市議会の実態をぜひ認識しておいていただきたい。
このようなことにこそ、
私自身は対峙しなければならないと考えている。
3月4日。議会最終日。
任期最後の議会の本会議が開会される。
夕方ごろから夜9時ごろまでの時間に、
さいたま市議会のHPの中継をご覧いただくと、
その継続に対する各議員の態度が明確化され、
議会が継続扱いする瞬間が目の当たりにされるだろう。
そしてこの議会という器に、
現在の料理を入れておくことがいいのか、
それとも料理を取り替えるのか、
判断していただきたいものである。