• 変わらず ブレず 前へ 未来へ。

「負の分担」の時代。
親交のある柳田佐久市長の言葉である。
人口が減少するとともに高齢化し、
財政が厳しくなる中、
お互いに負の側面を分担して乗り越えていく、
という意味が込められている。
私もまったく同感である。
行政改革の推進派に名を連ねるのは、
こうした時代認識を持っているからである。
ところで。
この「負の分担」の進め方ほど、
難しいことはない。
利害関係者の意を汲んだ議会、
特に思考停止した議会の判断の壁が存在するのである。
平成の大改革の中心、
といってもいいこのテーマ。
各地で混乱が生じている。
さいたま市でも解りやすい事例がある。
清水市長が昨年の予算において、
「敬老祝い金」を削減することを発表。
高齢の方々が節目の年齢になった際に、
感謝の気持ちを込めて祝い金として
税金から現金2万円を配布する、という制度である。
市長より削減して浮いた財源を、
介護分野などに投じることを同時に説明され、
私は時代の要請に適ったものと理解し賛同した。
しかし。
結論として議会は過半数が反対。
自民党・公明党・共産党、
ここに無駄遣いを指摘してやまない無所属の議員までが、
反対に加わり削減議案は差し戻された。
今年の予算案では削減がなかったこととなり、
元に戻った形で予算案が提案されるに至ったものである。
なぜこうなったのか。
高齢層に支持母体を置く自民・公明・共産それぞれが、
選挙を前にそれを「守った」のである。
どう考えても。
今後、高齢層の数は激増し続ける。
所得や資産に関係なく、4億円の現金が配布されている。
そんな余裕があるなら、そのお金は、
高齢層の生活困窮者対策や介護基盤整備など、
社会が解決するべき優先度の高い分野に
付け替えて成果をあげるべきだろう。
何より高齢層の方々のためである。
実は、私の知る限り、当の高齢者たちも、
廃止を含めた削減を容認する方々ばかりだった。
しかし議会は、
一部の利害関係者の意向をくみ取り、
現状維持の判断をし、
結局、市長もそれに従うこととなった、
というのが、これまでの流れである。
市長にも指摘されるべき所もある。
提案が唐突過ぎた。
説明を怠り、いきなり案を示した感がある。
この点は昨年9月の代表質問時に私も指摘している。
いずれにしても。
この事例が示すように、
税金によリ施されるサービスの受け手である利害関係者と、
議会の多数派とが結託し、
廃止や削減といった「負の分担」ヶなかなか進まない
という現象が現実に存在している。
ドラッカーが、政府機関は
廃棄が苦手であることを示していることから、
さいたま市はおろか、世界的な現象なのだろう。
これが改革を先送りする構造である。
問題は後世の人々に
一気にそのツケが回ることである。
後々、行き詰まった時。
数字上のつじつまを合わせるために、
一気にサービスが廃止・削減され、
一気に負担が増やされることとなる。
その時には、住民生活上の大きな混乱が生じるだろう。
夕張市の事例を忘れてはならない。
行き詰まることは今からわかっている。
どう見ても客観的な指標上、
厳しい時代が到来するのは目に見えている。
「厳しい」という言葉は、
今でも行政職員からよく聞かれるが、
そのレベルではない。
おそらく国からの資金は届かなくなるなるだろうし、
高齢者への福祉などの自然増で、
財政が硬直化するだろう。
行政がやらなければならないサービスさえ提供できなくなる、
といった類の大変な状況までが想像される。
しかし。
体力のある今から着手しておけば、
ソフトランディングできるのだ。
今から何を残して何を廃棄するのか、
住民との建設的な議論を積み重ねれば、
良い形で次の時代に移行できるのではないか。
理想は、その議論の舞台が議会であるということだ。
今の世代はいい想いをして、
将来の若い世代やまだ生まれていない世代に
しわ寄せがいくというのでは、
世代間の不公平感を一層助長することとなる。
30代にギリギリ足をかけている私からすれば、
こうした若者の言葉を代弁する立場として、
以上の点を指摘しておきたい。
現在までのところ、
さいたま市でも行政改革の計画、
「負の分担」のプランまでは示されているが、
これからこれらを実現していけるかどうか、
問われている。
他の自治体では廃止や削減が進んでいる
「敬老祝い金」でさえこのような状況であるから、
今後のさいたま市での行政改革、
特に議会の姿勢がカギを握ることとなる。
もちろん何でも廃止・削減すればいいというわけではない。
市長と同調すべき、と言うつもりもない。
負の分担の視点を全市的に織り込んだ上で、
議会は議会としての独自の姿勢を持てばいい。
議会は全市的に、将来の世代までを視野に
判断していく姿勢が求められていることを、ここでは言いたい。
これまでのように自分の選挙に有利かどうかに判断を矮小化し、
若い世代の希望を失わせることは回避していただきたいものだ。
このような姿勢こそ、
名古屋などで問われたのだろう。
いずれにしても、
このように「負の分担」を目的とした改革ほど
難しいものはないのである。
民主主義を採用する私たちの社会では、
議会という機関の決定なくして物事は進まない。
議会の判断一つにかかっているのである。
こんな時。
新しいタイプの市長が時代の要請を受けて送り出され、
北風を吹き付けて議会を変えるやり方もあろう。
名古屋や阿久根のように。
この方法も否定するわけではない。
どんなことであれ、住民が判断するものである。
しかし私は、住民が学習し成長することで、
その住民が議会に影響を与え、
自ずと議会が変わることを余儀なくされる、
そんな改革が望ましいと考えている。
住民の成熟ほど、
自治の体質を頑強にするものはない。
まさに太陽に照らされた旅人が、
自然にコートを脱ぐ、といったことである。
そんなことができるはずがない。
と思われるかもしれない。
しかし、実例がある。
それも最近のことだ。
その自治体とは。
冒頭の言葉を発した
柳田さんが市長を務める佐久市。
文化会館の建設を巡る住民投票を
実施したケースである。
前市長時代に議決を経て、
建設が決定されていたこの文化会館について、
しかし、柳田市長は市長選挙の候補だった時に、
建設への疑問の声も多数聞いたという。
ここで、河村市長なら「建設反対」を明確にし、
議会を敵と位置付けて演出をしたかも知れない。
しかし、柳田市長は、そうしなかった。
選挙においては「住民投票で決する」
と言うにとどめたのである。
選挙の材料に「反対」を使用しなかった。
柳田市長は、あくまで「議会の議決」を重んじた。
この点が河村市長と根本的に異なる。
河村流。
つまり、議会の決定のうち、
自分に従う部分はいいが、それ以外は認められない、
というこの論法。
後々、自分の首を絞めることとなるだろう。
議会を敵視した論法は、
住民に思わぬ副作用をもたらすだろう。
しかし、自身も市議・県議を歴任してきた柳田市長は、
議会の議決の事実を重視した。
だから撤回の考えを持つ住民が多く存在するからと言って、
選挙目当てに議会の決定の撤回をぶちあげたり、
市長就任後も、自分一人の意思での撤回の判断はしなかった。
あくまで選挙時の約束の、
住民投票を実施するとの考えを貫いた。
9月の議会において議会の修正で、
50%以上の投票率がなければ無効とされたが、
実施されることが決まった。
昨年11月。
住民投票の結果、投票率は50%超。
反対が7割超に上った。
即座に市長は、
総合文化会館の建設を中止を発表した。
この経緯は佐久市HPに詳しい。
http://www.city.saku.nagano.jp/cms/html/entry/3723/418.html
特筆すべきは、説明を尽くそうという佐久市の姿勢。
この住民投票に至るまでに、
市が主催した説明会は実に21会場で開催。
1193名の参加があったという。
会場で出された質問と回答は、
翌日にはホームページに掲載され、
次の説明会で印刷され配布された。
つまり住民の考えは様々な角度から検討され、
判断できるように工夫されていたのだ。
こうした住民との間で徹底して議論し、
決定するという判断。
これこそ、「負の分担」のあるべき、
合意形成の一つの姿なのだろう。
住民は時間をかけて、
財政状況や将来の佐久市の運営にまで、
学習の幅を広げたに違いない。
かくして文化会館の中止と引き換えに、
住民の成長の機会がもたらされたのである。
この件により、
議会も再考を促されることとなった。
十分に尽くされた議論を踏まえて、
住民が判断したのであるから、
この時計の針を元に戻すことにはならないと思われる。
住民が鍛えられ、住民による判断の結果により、
議会の判断も合わせて変更させたケースだった。
この副産物は、
今後の佐久市の自治にももたらされるだろう。
以後の市の重要な判断についても、
住民の建設的な議論のもとに決定されていくに違いない。
議会の決定が覆されることについて、
当の議会も納得せざるを得ないプロセスで
撤回させるに至ったのである。
残念ながら。
この件は、大々的には報じられていない。
劇場型の派手な改革(偽装改革?)が、
メディアには登場しやすい。
絵になるからだろう。
しかし、大人の改革、
さらには本筋の改革と呼ぶべき、
こうした佐久市のような改革も、
同時に行なわれている。
報道機関には、
埋もれている佐久氏のような本筋の改革にこそ、
光を当ててほしい。
民主主義の社会の中、
住民の学習と成長なくして、
「負の分担」の時代を乗り越えることはできない。
住民は、学び成長する機会があれば、
まっとうな判断をする。
そうした環境さえあれば、
敵・味方といった憎悪の感情を基盤にした対立ではなく、
建設的な議論でその地域の将来を検討することにつながる。
議会は住民が選んだ料理を盛り付ける「うつわ」である。
住民が変われば、盛られる料理の質、
つまり議会の質も変化していく。
その文脈で自治体のあり方も
当然に変わることとなる。
柳田市長は、このほかにも、
事業仕分けの実施や
市民活動サポートセンターの設置など、
確実に未来への投資に次々に着手している。
注目すべき自治体の一つである。
柳田市長への壮大な試みに敬意を表するとともに、
佐久市において新時代の到来を思わせる、
この試みを胸に刻んでおきたい。
そして。
私は柳田市長と同じく、
議会の議決は重たいものと考える立場である。
だからこそ、議員を選ぶ住民に、
建設的に呼びかけ、訴えていく。
当面、こんなメッセージを届けたい。
「納税者の意向を議会に反映しよう!」
「行政改革のできる議会を創ろう!」