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私たちの提出した議員定数削減条例について、
さいたま市議会が「否決」したことは、
提出の経緯も含めて、すでに当ブログで記している。
その定数について、私の率直な考えを記したい。
議員定数削減は、
議会改革の前面に出るものではないし、
慎重に取り扱うべきもの、だと考えている。
いわば「入れ物」の大きさを変えるにすぎず、
そこに盛られている料理の質が変わるものではない、
ということだ。
こうした明確な考えを持っているが、
今回は定数削減条例を
提出する決断するに至ったものである。
昨今。
全国で議員定数削減が流行のようだ。
先日の名古屋現象でも
議会改革の象徴として取り上げられていた。
もはや市民が議会に期待する
唯一と言ってもいい項目は、
議員の「報酬削減」とならび「定数削減」ではないか。
これはこれで嘆かわしいが、
まぎれもない客観的事実である。
議会に約10年在籍した私にとって、
今、着手すべき議会改革とは「質」の面の改革である。
報酬や定数の削減は、
行政改革的視点や議員が身を削る姿勢を示す、
という意味ではその通りだが、
議会の質の改善にはほとんど何も貢献しない。
つまり、質の改善は全く別次元なのである。
質の改善のためには、
●選挙における新陳代謝で新規参入ができる環境
●自分の支持者以外の不特定多数の市民と触れる機会
●行政の依存体質を改め、議員が自立すること
などが必要とされるだろう。
だから定数削減が議会の質の改善につながる、
という意味で効果があることとして、
私が議員定数削減条例案の提案者に名を連ねたわけではない、
ということは、ここではっきり述べておきたい。
現在の議会の質の水準が、市民の想いに到達していないこと、
この両者のギャップが大きな問題の根幹なのだろう。
このギャップが定数や報酬の削減を強く打ち出している。
突き詰めれば「議会不要論」である。
名古屋で本質的に問われたのは、
報酬や定数の削減というよりも、
このギャップに対する議会への
市民からのメッセージであると受け止めたい。
自身の支持者には良い顔をしても、
全体の市民生活に貢献しているように見えない。
行政依存が過ぎてチェック機関としては
機能不全となっている議会に、
市民は「不要」とレッドカードを突きつけているのである。
むしろ。
今回の定数削減議案への反対討論の中に、
「定数の削減は少数意見の切り捨てとなる」
という意見には、私も同じような意見を持つ。
確かに、定数が少なければ、
組織票による国政政党や世襲議員の既得権の壁が生じ、
新規参入が困難となっていく。
議会とはその時々における、
市民の意向が体現された機関であり、
「入れ物」なわけだから、
選挙を機会として、常にその市民の意向に合わせて
内容が新陳代謝されていくことが望ましい。
定数が少なくなると、
「少数意見が反映されにくくなる」
という傾向は少なからずあるのだろう。
合併前の市議会議員の合計数約130名だったのが、
現在、合併後に64名となっているから約半分である。
その分、市民には声が届きにくい、
逆に言えば、議員の姿がみえない、
という意見が私の耳にも届いている。
これは無所属で選挙に3度挑戦した、
私の経験に基づく率直な考えでもある。
前回選挙では最下位であったことも、
私の念頭にはある。
だから一般論としての議員の定数削減については、
絶対反対ではないが「慎重であるべき」というのが、
私の基本的な認識である。
ただし。
今回はこうした考えをもってしても、
定数削減条例を議会に提出することに
賛成し、決断したものである。
別に自民党を追い詰めることや、
選挙前のパフォーマンスをすることを
目的としているわけではない。
選挙前のパフォーマンスと言うには、
あまりに危険なものだろう。
自分の選挙区にも波及する案件なのだから。
この議案を提出した最も大きな理由。
それは、やはり、
自分たちの行政改革への覚悟を
市民に対して示したい、
という思いがあるからだ。
これまで多くの方から、
「議会は定数削減するんだって?」
と聞かれた。
このケースの削減とは、
64から60に4の議席を削減する話ではない。
「54」に削減するという話である。
この自民党が流している話は、
すでに市民に浸透し、
それを気にかけている市民が数多くいたのである。
昨年末の報道に注目している市民の存在があった。
これを知った時、
私は、自分の内面に問いかけた。
「ここは決断するべきではないか」と。
事業仕分けをしたことさえ、
選挙向けのパフォーマンスだと言われた。
時代に先駆けたこの取り組みに、
そのような根拠のない批判をされることは本意ではない。
ここはその本気さを示し、
自らも身を削る姿勢を示すことで、
時代の要請に適う取り組みをしていくことを理解していただきたい、
そんなささやかな想いが芽生えたのである。
そんな心の動きがあった。
前回最下位の私が、
54の議案に賛成するということは、
私自身が落選ラインに落ちる、
ということを意味する。
私の選出区である南区は、
前回の選挙では定数9、
すでに60の議案で「8」となっているが、
54の議案となれば定数は確実に「8」と固定するのだ。
直接的に自分に関わる数字だ。
提出すれば、
もともと主張していた最大多数会派の自民党が
乗る可能性が充分にあるわけだから、
賛成は過半数を超え、成立する可能性は大いにあった。
これはもう理性を置いて決断するしかない。
ここで、内面の葛藤を振り払った。
私に限らず。
会派所属議員がそれぞれ自らのリスクを承知で
決断したのが今回の定数削減議案である。
会派控室において、
提出者・賛同者に名を連ねるための
署名をする際のそれぞれの議員の手は、
その決意に裏打ちされ迫力に満ちていた。
こうしたことから、
これをパフォーマンスだといわれるのは、
大変な怒りを感じる次第である。
勇ましいことをいくら言っても、
結局いざという時に行動できないものほど
情けないものはない。
この提案をした自民党にこそ、
この機会に猛省を促したいものだ。
市民の多くが期待をしたのだから。
さて。別の角度から考えたい。
60が54になるということは、
すぐさま各区において
複数の定数削減に至るものではない。
また、市民の意向の確認は、
必ずしも議員の定数がたくさんいなければ、
できないというわけでもない。
北海道栗山町議会や、福島県会津若松町議会をはじめ、
市民報告会などを実施するなど、
全国各地で工夫しながら議員の数によらない形で、
住民の意向を取り入れる努力を続ける議会もある。
こうした試みにヒントを得ることもできるだろう。
だから。
定数削減に「絶対反対」という判断も、
いささか硬直化した考えではないかと思う。
もし現職議員がそれを強く主張するならば、
自己保身の意味も込められているかもしれないと疑っている。
いずれにしても。
少なくとも私自身は、
この54という数字に議員として、
今後とも責任を負う立場となった。
この成立に向けて、
今後とも行動してく次第である。