• 「猫の手貸します」

名古屋(愛知)のトリプル選挙は、
想像していたとはいえ、
歴史的な選挙結果となったと実感している。
河村氏の圧勝となった。
議会は住民の手で解散に追い込まれ、
3月上旬には選挙が行なわれるという。
私はこの名古屋のトリプル選挙と、
くしくも同時期に大きなニュースとして
報じられた相撲の八百長事件が、
本質の面では共通の構造を持っていると思えてならない。
なにも、名古屋市議会が、
八百長をしていた、というわけではない。
それぞれ時代の要請に合わせて変化し、対応できなければ、
退場や出直しを命じられる、という点である。
相撲の八百長については、
多くの人から、こんな言葉が聞かれる。
「前からやっているとは思っていたけれど…」
以前から、八百長がおこなわれていることを
知っていた人も少なくないのだろう。
私も以前、その事実に関し本で読んだことがある。
相撲に限らず。
キックボクシングの世界でも、
当然のように八百長があったと関係者から聞いたことがある。
全盛期、キックの鬼と呼ばれた
沢村忠さんが活躍した頃の話である。
おそらくは、以前は、今からみれば
驚くほど八百長が横行していたのではないか。
むしろ時代の流れで、
観る側の観客や視聴者の目が肥えたため、
八百長がやりにくくなったのではないか。
だから。
相撲界を揺るがす
歴史的な事件に発展したのではないか。
つまり少し前までは、
誰もが八百長を許容する雰囲気があったが、
時代は移り変わり、
現在は、もはや許されなくなった、
ということである。
ここで、名古屋市の選挙結果に目を向けたい。
名古屋市議会の姿は、
決して名古屋だけの姿ではない。
遅かれ早かれ、名古屋のような光景は、
全国の議会で見られた(ている)現象である。
首長の性急な行動に対しては、
議会は数の論理で対抗し、
決して市長の独断を許さないという傾向。
マクロの体現者である首長と、
ミクロの集合体と言われる議会。
両者は、首長の交代があるたびに、衝突し混乱してきた。
それでも、議会に力があったのは、
住民からの根強い支持があったからだ。
以前ならば首長が議会を解散させるなど、
想像もつかなかっただろう。
右肩上がりの経済の下、
税収がより確保される流れの中で、
自らの支持者に対し、
充分な利益誘導を持って、
支持者の声に応えてきた議員たちの存在があった。
これは右も左も同根である。
しかし、バブル崩壊後。
財政は一気に縮小し右肩下がりである。
グローバル化、人口減少、高齢化…
ますます社会の変化により、
議員個人に配分される財源は縮小し、
ついには余裕はなくなった。
こうして議員が君臨して利益誘導できるような
範囲はほとんど無い状況となった。
それに加えて、
高度な社会構造を持つ、成熟社会を実現した。
ここで議員は「先生」ではなくなったのである。
「先生」と「住民」の関係が成り立つのは、
強くて願いをかなえてくれる「先生」と、
弱くて助けを請う「住民」という
両者の構図が存在して初めて成り立つ。
しかし今。
成熟社会となり、
住民も多くは豊かな生活を手に入れ、
自力で生計を立て、
むしろ納税者として義務を果たしている。
税金の負担はするが、
行政サービスはほとんど享受していない、
という住民が大半を占めるようになったのである。
この住民と議員の関係の変化。
この変化こそ、河村市長が誕生し、
トリプル選挙で勝利した原動力となったのではないか。
つまり、この選挙結果の意味するのは、
社会が変化した事実だったのではないか。
さらに言えば。
議会がこの変化に対応できなかったことを
象徴しているのではないか。
だから住民から退場、
または出直しを命じられたのではないか。
これまでのやり方に安住していれば、
住民は議会にあらゆる方法を駆使して変化を求める、
ということだ。
私は、有権者は賢明であると考えている。
少なくとも、どの選挙結果にも、
有権者のメッセージが込められていると認識している。
今回のトリプル選挙の結果は、
この変化への対応の可否、という意味で、
住民が判断したのだろう。
以上のようなことから、
相撲の八百長事件と構造が似ているのではないか、
と率直に思った。
名古屋市議会を、
他市の議員の私が批判する資格はない。
ここでは、我がさいたま市議会において、
教訓として受け止める意味で、見解を記している。
もはや変化のスピードは驚くほど速くなっている。
私自身も自分を改革派などと
自称して胡坐をかいてはいられない。
立ち止まると、たちまち劣化し守旧派となる。
そんなことを自覚させられるような、
目の覚める名古屋の歴史的選挙結果だった。
変化に対応できるものが生き残っていくのだろう。
この名古屋現象は、
今後の日本社会全体を巻き込む変化の象徴であり、
スタートを知らせる号砲でもある。
「すでに起こった未来」として
受け止めたいものだ。
きっと10年後の自治体議会は、
今とは似ても非なるものとなっているに違いない。
そのための変化の担い手たるように、心がけたい。
まずは納税者の意向を議会に反映させることだ。
議会が議会のすべき役割を果たすこと。
住民のための議会に立ち戻ること。
できるところから始めたい。