• 「猫の手貸します」

埼玉県内の市立小学校の教員が、
再三のクレームで不眠症に陥ったとして、
500万円の慰謝料を求め、
担任の児童の両親を訴えたという。
ニュースを通しての情報であり、
現場を詳しく知らないから、
炯々なことは言えない。
が、教員の立場で親を訴えるということだから、
学校関係者や弁護士のフィルターも通っており、
相当な問題があったと想像される。
私自身もモンスターと称される
市民に遭遇した経験があるから、
察するに余りある。
裁判の行方に注目したい。
ただ、ここで一つ考えておきたいのは、
この児童にとって、
この提訴はどんな意味を持つのか、という点だ。
決してプラスとはならないだろう。
心には相当な傷を負ったのではないか。
今回の件は、この子どもには直接の関係のない話だ。
その親と教員、そして学校の問題なのだ。
この子どもにとって、
この件がどんな影響をもたらすか、
私は心配している。
かといって、
私は教員が提訴すべきではなかった、
というつもりもない。
現在の教育現場における
率直な意向を代弁していると思われ、
世にその是非を問わねばならない状況にまで
来てしまっていることの現れなのだろう。
ただ思うのは、
子どものことを考えた時に、
この方法しかなかったのか、
ということである。
学校なり、教育委員会なりの組織の対応として、
段階的にもう少し対応の仕方があったのではないか。
どうも担任教員が、
子どもたちのすべてを
一手に引き受けていたのではないか、
と想像してしまう。
親からのクレームを、
担任だけに任せるのではなく、
学校として受け止め、
役割分担をして対応するなどして、
親との軋轢を回避できたのではないか。
その結果、裁判を回避できたのではないか。
少なくとも様々な回避策をとって、
それでも万策尽きて解決策がない、
という段階で提訴するべきだったのではないか。
当の担任教員へのケアも、
早い段階で的確になされるべきだったのだろう。
学校もマネジメントの視点から運営を考えるべきで、
教員はその一員である。
こうしたケースから見えてくるのは、
その教員が個人で背負いすぎているという点である。
親らからの教員へのクレームに対し、
学校として真摯に対応するとともに、
暴力的・威圧的な行為で無理難題を押し付ける親には、
学校を挙げて教員を守るなど、
毅然とした対応をとるべきなのだろう。
親の資格を逸している親も確かに存在している。
学校はどんな状況にも耐えうる足腰の強さを
備えていなければならない。
裁判は、
当事者での解決が不可能となった場合の、
決着をつける場である。
もし、ここで決着がついたとして、
どんな結果であれ、
この子どもにとっては、
心の傷が消えることはないだろう。
このようなケースを教訓として、
親など外部への対応は、
学校単位でチームとして
対応していくことを大前提とし、
的確に対応するべきだ。
学校の使命は、
子どもたちの良好な教育環境を
用意することであるはずだ。
年功序列で校長や教頭らの人事が決まるようなシステムでは、
学校経営は務まらないことを教育委員会も強く認識し、
学校の在り方について、
マネジメントの視点から改善を進めるべきではないか。