この一年の始まりは、
恒例の「初日の出小旅行」。
北茨城の海岸沿いで、
見事な御来光を確かな目でみつめていました。
その後の激動の一年とは、
対照的な穏やかな光景でした。
こうしてスタートした一年。
結論として、
今年も昨年から引き続き突っ走った感があり、
来年4月の挑戦が目の前に来ているので、
さらに一気に走り続ける、
ということとなろうかと思います。
さて、ここで今年一年を振り返ります。
これまでは時間軸で記していましたが、
今回はテーマごとに記します。
ずいぶん長い文章となりましたが、
お付き合いください。
★ ☆ ★
今年は、何といっても会派主催の
「事業仕分け」作業の実施が大きい。
1月に会派内にプロジェクトが設置された。
その際、リーダーを拝命。
仕分けの生みの親である構想日本にも
全面的に協力いただき、
5月に研修を行なうなど準備を進めてきた。
こうした私たちの試みに対し、
議会内外で圧力ともとれる言動が次々に寄せられた。
しかし、11月2日に実施できた。
約150人もの傍聴者や各メディア関係者も来場するなど、
成功を収めた。
結果は7つの「不要」など厳しいものとなった。
何より職員の説明力の不足という問題が発覚。
その改善を含めて様々な宿題を預かった。
この結果の扱いについては、
12月17日、市長に対し「政策提案」として提出。
今後、この取り扱いについて、
行政の動きを注視していく。
また、12月議会でも随所に取り上げたし、
年明けの2月議会における代表質問や予算審議などで
取り上げていく予定である。
今、議会はそのあり方が問われている。
この試みは、全国の議会で3例目。
会派という単位であるものの、
機能する議会へ変革を導く試みとして、
大きな一歩を踏み出したと確信している。
清水市政の2年目であり、
いよいよ本格始動の年である。
市長の一丁目一番地の、
行政改革は着実に進んでいる。
行財政改革本部は、
6~7月に「公開審議」を実施。
「さいたま市版事業仕分け」と言うだけあって、
構想日本の関わりはなかったものの、
予算編成の査定さながらの激しい議論が展開された。
これらの議論を踏まえ、
12月には「行財政改革推進プラン2010」が公表された。
ここには廃止を含めた各事業の取り扱いが
年次を追って具体的に記されている。
また、市の保有する施設等財産の総合管理を念頭に、
「公共施設マネジメント方針」も示された。
単年度主義の予算の発想を転換し、
その財産の扱いをどうするかの判断は、
将来にわたって計画的に行なうべきで、
全国に先駆けた方針である。
例えばある建物が築35年で
改築を必要としている、とする。
事業とともに建物を廃棄するのか、
民間に移譲するのか、
改築して延命を図るのか、
新規に立て替えるのか。
莫大なお金が必要とされる中、
廃棄できればその費用は必要なくなる。
計画的にいつどうするのか、
その方針を打ち出し、判断していく、
という単年度主義の行政においては画期的なである。
財政や人事のコントロールを含めて、
今後はこの方針の具体化を
どう担保していくかが課題となるだろう。
いい計画があっても、
実行できなければ絵にかいたモチに過ぎない。
行政改革全般に言えることだが、
利害関係者への丁寧な説明により、
着実に進めてほしい。
12月22日、さいたま市長は、
来年の財源不足を250億円と修正した。
更なる行政改革の必要性を裏付ける発表だった。
まだまだ予断を許さない。
ところで。
厳しい経済・財政状況が現出する年でもあった。
7月には新都心の開発計画が白紙となった。
またも振り出しに戻った。
6月には岩槻の再開発ビルが、
12月には北与野の再開発ビルが、
それぞれ破たん回避のための
公金が投じられる判断がなされた。
地下鉄7号線の延伸の話は先送りのままである。
岩槻人形会館も半年以上の延期が決定された。
莫大な予算を必要とする事業については、
議論を積み重ねて市民の理解を得なければ、
推進は困難となるだろう。
背伸びせずに等身大で
まちづくりを進める時代が来ている印象を持った。
「向かった」と言いたいところだが、
市民が今の議会を見れば、
「あまり変わりがない」と言われてしまうかもしれない。
市民の信頼の回復は、
これからも大きな課題だ。
議会内は混乱に次ぐ混乱である。
これまでにはなかったケースだ。
市長選の余波、来年4月に市議選を控えたことによる、
政局的な側面が大きな要因だ。
私はしかし、この混乱を好意的に受け止めている。
混乱が起きず、全て水面下で決められていた前市長時代には、
議会もまた硬直化していた。
その時代を肌で知るものとして、
今の混乱は、次の時代に向かうために
通過しなければならない混乱と受け止めている。
インターネット生中継を予算委員会も対象に含めたり、
議長が記者会見を行うなどの取り組みや、
高校生を招いていの高校生議会など、
様々な仕掛けをしてきたものの、
市政報告会の実施は実現していないし、
市民と直接触れ合う機会をなかなか作り出せていない。
こうした課題を解決し、
きっと市民の代表機関として
信頼される機関にしていきたいものだ。
個人的には、市民生活委員長として、
昨年に引き続き委員会運営に責任を負った。
盆栽枯死事件が前年末に決着がついたと思いきや、
3月末には盆栽美術館は館長辞任騒動が起きるなど、
多難のスタート。
プロジェクトチームの進捗状況の調査を継続している。
今年は同じ文化の分野の
岩槻人形会館についての調査を中心に行う。
この会館、箱を作る構想ばかりが先行し、
準備不足が露呈。
結局、12月には、
市長サイドから建設延期の決定の報告。
文化や伝統はますます重要度が高くなるだけに、
市民に根付き、収益性や経済波及効果の
高い施設を目指してほしい。
そうでなければ撤退も視野に入れる必要がある。
準備不足が否めない中、
建設を延期する決定がなされたことに、
内心ホッとしている。
次の任期で、再びこの建設に
関する議論が行なわれることとなる。
9月議会において、
会派を代表して質問に立つ。
私の関心の高い行革について、
市長と対面して質問。
行革は総論賛成だが各論は反対となりやすく、
行革を停滞させないためにも、
利害関係者らへの丁寧な説明の必要性などを質した。
現在、裁判の最中のため、
詳細は記すことはできないが、
名誉棄損でさいたま市議を訴えている。
私の議員としての根幹に関わることであり、
看過できない性格の事案であったため、
裁判という形で戦うことを決めた。
この結果は後ほど報告する。
今年もっとも残念なのは、
昨年8月に誕生した民主党政権が
ふがいない様相を呈した事である。
もはやこの国民の不信感は、払拭は困難だろう。
12月にはこの体たらくの
影響を受けた同志の西東京市議が、
落選するという憂き目にあった。
政権の中枢にいる要人たちは、
こうした影響を重く見るべきだろう。
7月の参議院選挙。
私はみんなの党の全面的な応援に入った。
田中秀征先生から、
お声がけいただいたことがきっかけだが、
組織に依然せず主張で支持を得る
スタイルが自分の立場と重なるなど、
共感できたこともその理由だ。
市議会では民主党市議と会派を組むが、
私自身は全くの無所属である。
その時々で応援したい政党、
日本の国のためになる
政党を応援したいと考えている。
選挙の結果、みんなの党の大躍進。
自らのことのように喜んだ。
退場したはずの自民への回帰もまた歓迎できない。
そんな中、筋を通す小政党の存在は小気味よかった。
民主の没落と対照的だった。
ただ、国の状況は予断を許さない。
借金は未だ増え続けており、
国際的にも存在感が薄れつつある。
課題は山積。
経済も社会保障も、貧困問題も、
何もかも先送りで適切な対応がなされていない。
間に合うのだろうか。不安である。
3月に三宅島、イギリス、
5月に大連(中国)、
8月にミュンヘン(南ドイツ)とその周辺、
を明大大学院青山教授や学生らと訪問。
三宅島は、火山被害後の復興の様子等を見学。
イギリスでは大ロンドン市やブライトン市などの
自治体政策をじっくり吸収した。
大連は、日本とのつながりが深く、
日本の仕事のかなりを請け負っている事実を知り、
将来は取って変わられてしまう、
という衝撃と危機感を持った。
ミュンヘンは、ユーロ安で好景気の雰囲気とともに、
茶色の三角屋根という旧来の街並みを大切にする
哲学を感じさせる景観が印象的だった。
11月には市民生活委員会で金沢の21世紀美術館など、
成功事例とされている文化施設を訪問。
その施設もコンセプトや準備がしっかりしている。
何より市民に根差すことなど、
すべきことをしてきていることが印象的であった。
私生活では、義理の祖母を10月に送る。
臨終の場に同席し、命を深く考える機会を得た。
命の誕生にも遭遇する。
11月には義理の妹が、
そして12月には弟の妻がそれぞれ出産。
これまた命の尊さを教えてくれた。
★ ☆ ★
以上のように、例年にも増して、
あわただしい一年でした。
来年4月には大きな挑戦も控えています。
私はこれまで通り、
無所属で正々堂々、
身一つで正直に闘うのみです。
もちろんその前の
2月議会も真剣に臨みます。
何より私は現職議員。
選挙よりも今の任期のほうが大切であることを自覚し、
任期最後の議会に臨みます。
来年はどんな一年になるでしょう。
今から楽しみです。
お互いに健康には留意しましょう。
年明けて、すぐの夜中に
初日の出小旅行に出かけます。
一番最初の光にさらされて、
気持ちを整理し、新鮮な一年のスタートを切る所存です。
では失礼します。