かねてから待遇改善を必要としていた介護職。
昨年と比較し、
1.5万増となったという(12月21日朝日新聞)。
昨年10月に設けられた「処遇改善交付金」が
機能している結果であるという。
「民主党はマニフェストで4万円増を掲げていた」
との指摘も新聞には記されていたが、
それでも実際に「上がった」ことは
大きな意味を持っている。
この交付金は事業者に対し支払われるものであり、
介護保険は民間事業所のマネジメントに
公は口出ししないことになっており、
実際にその交付金分による処遇改善の費用が、
事業所から、雇われている介護職員に対し、
渡るかどうかの懸念の声もあった。
目に見える形で、
効果が上がったということである。
ここで、将来に視野を向けたい。
「日本の介護は5年から10年がピークですよ」
市内大手の介護事業所の社長の話である。
5年から10年後。
言うまでもないが、
人口ピラミッドで最も左右に伸びている団塊の世代が、
まさに介護を受ける世代に入っていく。
最も心配なのは、
この時に対応できるだけの
物理的な環境が整っているのか、
という点である。
俗世間的に言うと、
「介護サービスを提供する事業所が存在していないため、
もしくは従事者が集まらず、サービスが提供できないため、
お金を持っていても介護を受けることができなくなる」
といったことが起きることを危惧している。
いわゆる「介護難民」が、
大量に出てくるのではないか、
という点である。
事業所はあっても、
人手が足りない。
ならばサービスの量を縮小せざるを得ない。
これは、実は都内では、
すでに起きていることなのだ。
未来を暗示するケースとして、
さいたま市にも置き換えたい。
私はかねてから、
従事者にはさいたま市独自の手当を
上乗せして支払ったらどうかと提案している。
今から従事者を、
さいたま市内の事業所に
確保しておかなければならない。
今から質の高い介護サービスには、
経験が必要であり、新人を雇えばいいというものではない。
そして、被介護者が激増する
5年後10年後に取り組み始めても、
東京や首都圏の都市同士の
従事者の引っ張り合いとなるだろうから、
後手後手に回り、
採用がままならないかもしれない。
ここが着手するタイミングだと考えている。
今はまだ、それでも余裕がある時期だというのに、
市内では、介護をめぐる殺人事件が複数件起きている。
また、冷静だった知り合いの女性が、
親の介護に1年ほどつきっきりとなって、
全く別人のように精神的に病んでいく様を見てきた。
介護は、看られる人たちだけの問題ではなく、
看る家族の問題でもあるのだ。
家族介護は必ず限界が来る。
自己を犠牲にした介護は、
その家族にも、介護を受ける人にも、
どこかでその限界が露呈し、
何らかの感情の爆発が起きて、
結果的に幸せをもたらさないだろう。
こうした事を見越し、
国の動向を待つだけではなく、
「介護の社会化」という
基本原則を共通認識とした上で、
積極的に攻める介護を念頭に置きたいものだ。