• 「猫の手貸します」

「人間はご飯を食べるでしょ。心にもご飯を食べさせなくてはならないのよ」(谷英美、女優)。この言葉を聞き、私は財政の視点からのみ文化政策を見ていたことを反省した。
経済的には豊かになったにもかかわらず、ギスギスした昨今の日本社会。その潤滑油として、時に人々の生きがいとして、文化は人間の歴史とともに存在する。その重要性は食に匹敵するのである。生や命そのものだと教えられた。
今回の視察を通じて、こうした考えをさらに深めることとなった。もっとも大切なのは、中途半端ならば、やるべきではない、ということだ。そしてやるならば、本格的に進めるべきということでもある。よほどの準備をしても市民からの厳しい視線はとどまるところを知らない。市民の理解度を次第に増やしていけるような、気概と本気さを備えていなくてはならない。成功を収める施設は、皆、こうした準備をした上で、市民への説明に臨んでいる。
財政が厳しい折、闇雲な推進はできない状況である。どの視察先の施設も運営費のコストカット、収蔵品の購入費の確保に必死だ。この分野の投資に大切な視点は、さいたま市として、文化の「何」に「どんな方法」で「どの程度」投資をするのか、そしてどんな「成果」を期待するか、の判断である。何よりも市民に根ざしてはじめて文化政策を進めることができる。
さいたまには、盆栽、サッカー、鉄道、人形といった文化資源があるし、民度の高い市民も存在している。機は熟しており、あとはそれを推進する側の我々政治や行政の立場にいる者の、本気さが問われるのだろう。市民の中の反対者にも、ねばり強く説明を続け、後に賛同者になっていただくような気概を持ち合わせなければ、文化政策を語る資格はない。これはさいたまの文化政策を停滞させることにほかならず、我が立場の責任の重さを実感する。
さいたま市をいずれは文化に満ちあふれる生活文化都市にしたい、と漠然とだが考えている。こうした視点に立ち、今後も文化政策を掘り下げていきたい。