• 「猫の手貸します」

新党が次々に誕生している。
政治がますます流動化していると実感している。

この流れの中で、
あるコメンテーターの言った言葉が印象に残っている。

「政治家の行動はまず『私』から始まるがやがて『公』になる。
 ○○さんの行動はどうも『私』がまだ強すぎるように思う」

こんな趣旨の言葉だった。

噛み砕くなら次のようなことだ。

●「私」=自分が当選するために有利な立場となるための行動
なのか、それとも
●「公」=社会への役割を果たすための本気の行動
なのか。

目の前にいる政治家は、
このどちらの行動原理を動機としているのか。

ここで。

有権者は無知だ、
ということを言う政治家や評論家がいる。

政策の詳細を把握していない、という意味なら、
それは日々生活があるわけで、
時間的な制約から、その通りだと言える。

だから間接民主制度や政治家が必要となるのだ。

しかし。

有権者は、上記の「私」と「公」について、
その政治家がどちらの行動原理を動機として
動いているのかを見抜く力を備えている。

これをもってして、
私は、自らの経験も加味して
「有権者は無知ではない」と断言する。

有権者は、政治家を鋭い目と感性で
評価する能力を確実に備えているのだ。

私も政治の末席に身を置く立場である。

今後も、「公」の立場に立ち続けられるか。

その覚悟を試されている言葉として、
肝に銘じなければならないと受け止めた。


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