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盆栽美術館が、3月28日から開館する。

盆栽美術館3月28日開館

「5億円購入」への批判や
昨年の枯死事件など、
盆栽への厳しい批判を経過して、
新たなスタートを切る。

盆栽に関しては、以前からお伝えしている通り、
このブログに枯死事件から私の盆栽に対する考え、
なぜさいたま市で盆栽に税金を投じるべきなのか、
などについてしっかりと記したいと準備をしているが、
それはもうしばらくお待ちいただくとして、
今回は、盆栽美術館の開館に合わせ、
その宣伝や提言を記させていただく。

この盆栽。

大きな可能性を秘めている。
さいたま市にも、この社会にも。

樹齢は1000年を超すものもある。

盆器の中で何世代にも
わたって受け継がれてきたものもある。

枯れた木でさえも、
捨てられるのではなく、
生きた木とともに組み合わされ表現される。

盆栽は植物であり生き物である。

生きているから今この瞬間に見ている盆栽の姿は、
2度と同じものは見る事はできない。

こうしたいくつもの特徴。

何か、人間の生き方や思想・哲学、
社会の在り方にまで
示唆を与えるほど奥深いものだ。

その盆栽。

当然、四季でそれぞれ姿かたちが異なる。

専門家からみて、
それぞれの盆栽に最も適した季節があるという。

今年2月。初めて足を運んだ国風展。

同行してくださった山田盆栽組合理事長いわく、
ある盆栽は今の季節がもっともきれいだが、
ある盆栽は葉が付いていないなど、
この季節では「物足りない」。

つまりそれぞれの最も映える季節があるということだ。

そこで冷静に振替えると。

年間を通じて、
その季節に合った盆栽を展示することのできる
場所は、存在していない。

その意味でも、
今回さいたま市に開館する盆栽美術館は、
その時々に最も適した姿の盆栽を魅せる場所として、
日本の思想を体現する芸術の拠点として
大きな可能性を秘めていると言える。

しかし。
まだまだ批判が多く存在しているのも現実だ。

本日の朝刊でも美術館に関し、
厳しい指摘が記されていた。

そうしたことも踏まえ、
この美術館のスタートに当たり、
盆栽の進行について、
以下の点に留意事項を記したい。

もっとも、これは私も他人ごとではない。

自ら積極的に盆栽購入や美術館建設に
賛成した立場である。

自分に言い聞かせ、
覚悟を決める意味でも記しておきたい。

①何よりも市民に知って見てもらうこと

枯死事件の検証がひと段落したこの間でも、
厳しい言葉が届いている。

私を支持してくださる方でも、
「盆栽だけはあなたと考えが合わない。私は反対だ」
とおっしゃる。

しかし、踏み込んで聞いてみると、
盆栽を実際には見たことがないと言う。

盆栽の実物を見ずに、
またはその盆栽の意味や説明を聞かずに、
報道やイメージで批判的に見ている人が実に多い。

「金持ちの道楽になぜ公費を投入するのか」
「特定の政治家と盆栽組合の関係に税金を回している」
「無駄な箱モノをまた作った」

こんな批判が次々に届く。

この点、理解を得る努力は確実に不足していた。

私もまた、この点でも反省すべき立場にある。

まずは実物を見て、
その意味を知っていただきたい。

その上での批判ならば、
甘んじて受け止めたい。

思想的・哲学的素地を持ち、
国内のみならず世界に発信できる存在。

歴史的にさいたま市に根差した
重要な文化・芸術だと、私は確信している。

まずは市民にこそ、
見て、知ってもらうための
機会を積極的に作る努力が必要だ。

②採算性・来館者数は重視すべき

文化事業について、よく語られるのが、
「親しんでもらうための事業であり採算性は考えていない」
という言葉だ。

盆栽も担当職員からこの言葉がたびたび聞かれる。

しかしここで熟考したい。

今ほど文化事業全般に厳しい時代はない。

よくて削減、厳しくは廃止。

税収が激減するなど、
不安定な収入状況の中で、
どの分野でも、
予算は喉から手が出るほど欲しいもの。

おのずと優先順位は命にかかわる
医療・福祉が上位に位置する。

一方。

たびたびこのブログで記している「心のご飯」。

谷英美という尊敬すべき女優から聞いたこの言葉。

「おなかが減ったらご飯を食べるでしょ。
 心にも同じようにご飯を食べさせてあげなければ」

文化の分野は、これもまた、
人間が人間であるために
欠かせないものだと言える。
(私は疎いのだが…)

「心」に潤いを与えるためには、
文化もまた軽視してはいけない分野なのだ。

現にノルウェーのフログネル公園には、
そこかしこに人間の生きざまを描く彫刻が置かれていた。

多くの先進国では美術館が無料だったりする。
無料とはその分、税金を投入しているということである。

ただし。

時代の要請で事業仕分けが本格化する中、
公費の投入を受けることは、
存続の妥当性がなければならない。

とくに納税者への説明と説得が必要だ。

納税者の理解もしくは納得がなければ、
どんな文化事業でも存続は困難となる。

当事者とそれに関係する政治家のみが
存続を主張するだけで、
国民・市民の広い支持は得られないならば、
政権交代の風が吹くこのご時世、
廃止の憂き目にあうこととなりかねない。

文化事業は確かに採算性のみで
語ることはできないが、
さりとて、以上の考えから採算性は重視はすべきである。

その美術館のマネジメントが重要であり、
独自の収入源の創造に勤め、
できるだけ税金のお世話にならない運営が求められる。

ここで。

●「なんでも鑑定団」でおなじみの大熊敏之館長
NHKに出演するなど若者に支持される山田香織園主

この2人に前面に出てもらうべきだろう。

全国的な知名度があるこのお二人が、
美術館の魅力を発信して行くならば、
きっと多くの人に興味を持ってもらえると確信している。

また、民間人採用で採用されたJTBの方とも連携し、
巧みに存在をアピールして来館者数を向上させるべきだ。

スタート時は、指摘されるように足りないことも多い。
この事業、今考えれば、
もっと準備ができたかもしれない。

開館を控え、ここまでの段階を踏んだ以上、
これから本気で取り組んでいく覚悟が、
市長、私たち議員にも、
そして誰よりも担当職員に求められている。

いずれはさいたま市の名を
世界に認知してもらえるような、
代名詞となるような美術館となってほしいものだ。

わたくし事だが、
私もここで英国に行く。

その際には、
いくつかの自治体の市長や議員といった政治家、
大ロンドン市の職員、
高額所得者の住むウェリンの会長などと交流の機会を持つ。

盆栽美術館の存在を、
しっかりと伝えてきたい。

もう一つ。
どうしても記しておきたい。

盆栽振興批判者に対しての、
私からの問題提起だ。

まず文化・芸術への税の投入について、
「賛成」だろうか、「反対」だろうか。

「反対」という方ならば、
もはや見解がことなるので、
議論は成立しない。

しかし。

「賛成」という方に対しては、
問題提起をしたい。

ピカソの絵も、中国の陶器も、
そして日本のお茶の文化も
私は、決して軽視はしない。

重要な文化・芸術である。

しかし、私たちは「さいたま市民」である。

さいたま市に根づいた文化・芸術こそ、
大切にする、という考え方はできないだろうか。

盆栽は、さいたま市に
歴史的に根付いている文化なのだ。

関東大震災で被災した盆栽職人たちが、
頑丈な岩盤を持つ土地に移住した。
ここからさいたま市における盆栽の歴史が始まる。

盆栽町(通称「盆栽村」)。

盆栽のという言葉が、
その地域の名前にまでなったこの地域には、
盆栽園が複数存在し、
5月の連休には盆栽まつりでにぎわう。

この盆栽村を抱えているさいたま市。

さいたま市の資産として、
大切にできなければ廃れていくだろう。

京都の歴史的文化資産群。

京都の歴史的遺産には、
所有者である寺社仏閣の管理は当然のことながら、
国費など税金も投入されているが、
市民もまた防災に関わるなど、
自ら汗を流して文化を守っているのだ。

だからいま、その後世に生きている私たちが、
歴史の一端に触れることができている。

この事実を忘れてはならない。

盆栽については、
私たちさいたま市民が何をするのか、
が問われているのだ。

以上、自戒を込めて記しました。

この件は、
帰国後、改めてしっかり記したいと思います。