• 「猫の手貸します」

7e3e664c.jpg本日、市民活動サポートセンターの席にて、ライフ・アンド・エンディングセンターの関係者より、「里山ベリートラスト」について聞く。結構な時間をかけて話を聞いたが、簡単にすると、以下のような話。

これは人の死んだ後の骨の置き場、つまりお墓の話である。

現在、お墓を新規に作ることができる主体は、法令で
●公的機関
●宗教法人
●公益法人
とされている。つまりこれ以外の個人や団体は、墓地を作ることのできない立場にあるということ。まずこの既得権化、という問題点がある。

そして、墓地については、
●墓石は海外からの輸入品でる
●墓石の管理は通常、本人の遺族が一代限り
●墓地は、迷惑施設であり、市街地では造れず、自然を切り開いて造るため、自然破壊の傾向にある
●石を敷き詰めて作るため、水はけが悪い
といった問題点も存在する。

墓地は必要な施設。自分のことに置き換えれば、安く取得し、適切な場所にほしい。しかし。自宅の近所に墓地ができるとなるとたちまち、墓地建設反対の大運動が展開される。

こうした矛盾を抱えたまま、未だ社会の位置づけや扱いが曖昧とされているのが、墓地である。

いま、私たちは成熟社会を迎え、この墓地を巡っては、経済的な問題や場所の確保などの課題を抱えている。さらには、価値観が多様化し、従来の埋葬の手法とは異なった埋葬を希望する人々も増えている。

私もどちらかといえば、骨になったら狭いところに納められるよりも、自然に帰りたいなあ、と漠然と考えている。いずれにしても、そんな課題や価値観の変化を受け、当団体では、樹木葬に直目し、それをさらに進めて「里山ベリートラスト」を提唱するようになった。

これは、里山に樹木葬的な墓地をもうけ、その管理資金は、その墓地を購入するもので負担する、というものである。その資金や管理を前提とし、墓地を含んだ里山の自然は守られ、後世に受け継がれていく。そんな考え方である。

現在まで、国内ではいくつかのお寺で樹木層をしている流れが主流であるが、東京都が、公的機関としては珍しく都立霊園で2012年から導入することを公表している。こうしたことが少しづつ始まった。

人間の終の時間の過ごし方から、その後の亡骸の行方まで、それぞれ価値観が多様化し、様々なニーズがでてきている。以前は「そんなことをいっても」「できるはずがない」と片づけられてしまっていたことが、今は、次々に実現してきている。

介護や医療の終末期における治療のあり方。これも無理して「生かす」だけではなく、「良い死に方」が模索されるようになってきた。

葬儀のあり方。これも病院の言いなりだったものが、無宗教にするなど自分で選択し、故人の遺志に従った葬儀を行なうケースが増えてきた。

そして、埋葬の仕方。これも先ほどの通り、自然葬の散骨や樹木葬など、新しい手法が次々にでてきている。

今後変化していくのだろう。こうした時代の流れに対応できるよう、政治・行政の関係者も念頭に置いておく必要があると感じた。

今回良い刺激を受ける話をお聞きした。今後、可能性を探ってみたい。