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「コンクリートから人へ」

この民主党の主張に賛成だ。
時代を反映している言葉である。

「コンクリート」
つまり社会基盤の整備が必要な時代もあった。

いま私たちが簡単に移動できたり、
安定した食料や水の安定供給を享受しているのも、
道路やダムのおかげである。

だからこれまでのことを
否定的にいうのは行き過ぎだ。

しかし今。

時代は「社会基盤の整備」から、
人が提供する「サービス」の時代に入っている。

高度経済成長を経て、
バブル経済に踊った後、
それが弾けた。

冷戦構造の崩壊も相まって、
経済は不確実性の時代に入る。

グローバル化した経済は、
これまでの国内市場を前提とした
ケインズ経済学の常識を覆した。

にもかかわらず、
方向転換はできず、
やがて借金大国へ。

この流れにようやくブレーキがかかったのは、
小泉政権の「構造改革」のときであった。

舵を切るのが遅すぎたきらいもある。

やがて民主党政権が誕生し、
コンクリート重視の方向性に
終わりを告げようとしているのが、
これまでの流れだ。

さて。

この「コンクリートから人へ」という言葉。

これは単純化すれば、
「政府の投資先」の変更を意味するものだ。

国民から税を集めて
「政府」という財布から投資をする。

私たち国民は、納税の対価として、
直接的な恩恵を道路や水道などから得る。

投資には、
その直接的な恩恵のほかに、
もう一つ重要な側面があって、
それは経済的な波及効果である。

社会の特定分野にお金を投じることで、
景気サイクルの中でお金が循環し、
最終的には隅々まで国民にお金が回っていく。

社会基盤整備が国民の最優先にあり、
投資効果が高かったため、
高度成長期には「コンクリート」の分野へ
投資が行なわれてきたのである。

それの効果は、
日本の国が世界でも特筆すべき成熟社会
に成長したことからみても一目瞭然だ。

だから高度成長期の投資の判断は、
間違っていなかった。

しかし、今、
社会基盤もかなり整ってきたうえに、
財政難の時代となった。

GDPは右肩下がり。
それに伴って税収は大幅減。

リーマンショック関係の一時的なもの、
と楽観的に見たい気持ちもあるが、
この経済状況が常態化する懸念もある。

そして返す見通しも乏しい借金が約1000兆円。

もはや砂漠に水をまくような、
効果の見られない
コンクリート分野への投資は見直しをしよう。

これが民主党政権を誕生させた
国民の意思だと思う。

付け加えておけば。

今後も必要な公共事業があることは確かだ。

ただ、新規建設よりもメンテナンスに
重きが置かれていくだろう。

ところで。

投資には、
「仕事の場を作り出す」
という側面がある。

「コンクリートから人へ」の大きな命題に際し、
私はこの「雇用の場」の確保、
という点に大きな課題が控えていると考える。

それは。

「コンクリート」を担っていた人たちが、
簡単には「人」の分野で働くことができるとは限らない、
からである。

さらには。

「人」の分野に投資できるだけの
財源の確保も未知数だ。

自民党がいったんは小泉政権時代に
「コンクリート」を止めかけたのだが、
麻生政権でそれに回帰していったのは、
やはり雇用の場の確保、
という面も大きく関わっているのだろう。

「政治家・官僚が私腹を肥やしている」
「大手ゼネコンが儲けている」
そんな話もあるかもしれない。

それは政治的には重要かも知れないが、
政策的には枝葉に過ぎない話だ。

雇用の場の確保こそ、
「無駄な公共事業を繰り返さない」ための、
本丸に位置している。

ある会合にて。

たまたま南魚沼市長と懇談する場を得た。

南魚沼市。
日本海側は新潟の自然豊かな地方都市。
そして、田中角栄のおひざ元である。

公共事業の削減や廃止は、
ただちに「失業」を意味する、という。

この市長の話を聞いた後、
地方都市の首長の立場に、
自分が立ったことを想像してみる。

背筋がぞっとする想いだった。

これまで公共分野からの投資で
地域経済が成り立ってきた地域に、
そのお金が回らなくなったとしたら…

たちまちそこでの生活は困難となる。

過疎が加速するのか。
それとも生活保護など公費支出が増大するのか。

いずれにしても、
東京圏に住む私たちには計り知れない恐怖を、
関係者は感じていることだろう。

雇用の解決は、
その地域の自己責任、
として急激に手を引けば、
その地域は崩壊の方向に向かうだろう。

こんな折に夕張市に目を向けたいものだ。
自治体の破綻が、
どれだけの生活上の困難をもたらすのか。

そして若手が地域を離れていく絶望感。

夕張予備軍の自治体は後を絶たない。

もちろん最後は自立に向かうべきだが、
そのプロセスをどう示すか、
ここに政権の手腕が試されている。

さらには。

雇用という視点は、
単に経済的な収益の問題にとどまらない。

ドラッカーが言うように。

宗教者が支配しようが、
独裁者が支配しようが、
王様や将軍様の支配であろうが、
民主主義形態の社会であろうが。

どんな権力機関の治める社会であっても。

共通するのは、
その時代のその社会において、
大多数の社会の構成員である人々に、
「位置」と「役割」が与えられていた、
ということだ。

現代の社会においては、
「位置」と「役割」を得るには、
大多数は市場か公的分野において、
「仕事に就く」ということになる。

仕事をしなくとも生活ができる人たちが、
それでも仕事をしたり、
仕事をしていなくとも仕事をしたいと考えるのは、
社会参加欲の発露ではないか。

単に「経済的な収益を得る」、
という視点だけで雇用を見ていくと、
見間違えることとなる。

非正規雇用の問題の本質も、
そして時に社会から排除された人が起こす数々の事件も、
この脈絡にあるのかもしれない。

いずれにしても。

民主党政権が誕生し、
鳩山首相が所信を堂々と述べ、
いよいよ次の時代の入口が見えてきた。

その象徴こそ冒頭の言葉だ。

鳩山首相を
「最後の将軍・慶喜」
と揶揄する声もある。

維新後の担い手と評されるのか、
それとも最後の将軍と評されるのか。

古い時代の先送りされてきた課題に対し、
抜本的な転換の端緒につけるかどうか、
注目されている。

「コンクリートから人へ」
のスタートを切るのに避けて通れないのが、
雇用の問題の道筋をつけることだ、
と私は見ている。

一筋縄ではいかない大きな課題であり、
当面は政府の動向を見守りたい。