• 「猫の手貸します」

15年前の今日。

当時働いていた喫茶レストランの仕事を
14時に終え、埼玉県庁に所用で行った。

県庁で思わぬ映像を見る。

すでに発災から9時間も経過しており、
情報は広がっていたのだろう。

テレビはヘリコプターから、
火災で被害を受けている神戸のまちを映していた。

モウモウと上がる煙。
所々に崩壊する建物の姿が見られた。

尋常ではない出来事が起きていることが
即座に理解できた。

それから4年後。

浦和の市議会議員となって以来、
辞職による2年間の市民としての期間はあったものの、
議員として役割を与えていただいている。

防災

議会でも、たびたび取り上げられる手前あり、
市議会議員として、
私も大きな関心を割いてきた分野だ。

その防災においていつも念頭にあるのが、
同時代に起きた阪神大震災なのである。

阪神大震災の教訓を活かす

もう使い尽くされている言葉かもしれないが、
犠牲となった6,434名(行方不明者除く)の
人生やその死を意味あるものとするためには、
私たちがその教訓を
最大限に生か活かさなければならないと思っている。

そこで。

以下、政策上の視点を、
いくつか記しておきたい。

●家屋倒壊による圧死:77%
●焼死:9%
●家具の転倒等による死:8%

数字は雄弁に物語る。

自宅の耐震化

9割以上が自宅で犠牲になったのだ。
犠牲者の声なき声は、
自宅の耐震化を求めている。

現在、国を挙げて、
耐震化政策が進められているのは、
この数字が発端である。

もちろん阪神大震災が、
まだ未明の早朝に発生していることが、
自宅での死者の割合を多くしている。

昼間の活動する時間帯に震災が起きていれば、
職場における被害や
通勤・通学時の交通機関における被害など、
まったく別の課題が露呈する可能性はあるだろう。

ビルの倒壊の写真などを見ると、
危機感は高まる。

関東大震災では、
火災で亡くなった方々が多かったと聞いている。

阪神大震災の時に、
ある方の実の家族が直面した話。

倒壊した建物の下敷きになり、
まだ意識はあるにもかかわらず、
迫る火の手から逃れることができない。

「あなたは逃げなさい」

こんな言葉を背にして
その場を立ち去ったことを
今でも心の傷として持っている方がいる。

下敷きにさえならなければ
生き延びたであろうことを考えると、
何とも残念な話だ。

いずれにしても、
過去の被害の分析とともに、
時間帯や季節などを加味して、
様々な想像力を働かせる必要がある。

自宅耐震化や初期消火活動は大切な視点だ。

自宅耐震化の目標を定め、
診断・耐震化の助成金まであるのだが、
なかなか利用者は伸びず、
遅々として進んでいないのが現状だ。

そして。

自助と共助

これもか欠かせない。

地震の発生時、
しばらくは消防車や救急車といった
公的機関の救援は期待できない。

答えは言うまでもない。

被害が同時多発だからであり、
物理的に個別対応は困難となるからだ。

食料は届かず、
水道・電気などのライフラインも寸断される。

災害発生から3日間。72時間。

阪神大震災の例からすると、
この3日間は自分で生き延びる。
自助が基本である。

または、周囲の方々とともに、
助け合い、励ましあう。
共助も不可欠である。

災害時に要援護者となる人たちの把握や、
その救助も大きな課題である。

ここにこそ地域の民度が現れるところだ。

共助の発想から、
各地域に避難所運営委員会が設置され、
その活動も少しづつ進められている。

私も、議員という立場ではなく、
一住民という立場で関わりを持っている。

防災士という資格がある。
私もすでに取得している。
研修を受ければそれで資格が取れる。

自助・共助の視点を重視し、
地域に専門家を増やしていこう、
という構想からスタートした
民間団体による取り組みだ。

現在、さいたま市でも、
この研修費用を助成する取り組みをしているので、
関心のある方にはぜひ受講していただきたい。

ところで。

避難所といえば学校だ。

その「学校の耐震化」は、
いまだ完了していない。

この公共事業の優先順位は高い。
財政が厳しい折だが、
とにかくやり切ることが必要だ。

未来を担うべき子どもたちの集まる施設。
それと同時に、
避難所としての機能がある。

災害時の生活空間が倒壊してしまったら、
その地域の人々は、
どこでしばらくの時間を過ごせばいいのか。

時に命にかかわる問題だ。

新政権下の予算では、
耐震化の費用が削減されたとも聞いている。

それが事実なら時代に逆行した話だ。

この耐震化は前倒しで進めるよう、
強く働きかけていきたいものだ。

こうした削ってはならない分野の予算を確保するためにも、
財政の厳しい時期だが、
本筋の行政改革を早急に進め、
財源を確保する必要があろう。

命の重さを踏まえるならば、
時に国民に新たな負担を
お願いしてでも進めるべきだ。

さらに。

災害の視点は、
その3日間で終わっていいわけではない。

避難だけでは終わらない。

生活の再建

住居は確保できるか、
コミュニティは維持されるか。
仕事場に復帰できるか。

災害前の生活に
できる限り近づけるような再建を視野に入れ、
さらにはより災害に強い強化が
行なわれることが望ましいだろう。

ここまでを「防災」の範囲として見なければならない。

「災害が起きれば、その国の民度がどの程度はすぐにわかる」

これは今、防災などの政策の示唆を与えていただいてる
明大公共政策大学院教授の青山先生の言葉だ。

今、目の前の光景は
安定しているように「見える」社会でも、
見えない縁の下がしっかりしているかどうか。

それが脆弱な場合には、
災害をきっかけに露呈することとなる。

貧困問題や高齢者の問題など、
日ごろからの想像力と取り組みが必要とされる。

ところで、青山先生は東京都副知事の時期に、
三宅島の大噴火の避難と生活再建の指揮を執った。

その際。

一人暮らしの高齢者の生活の場が課題となった。

孤独死を考えてのことだ。

震災から10年の間に
仮設住宅と復興住宅生活者を合わせ
560名以上が孤独死と
見られる亡くなり方をしているのである。
(ウィキペディアより)

そこで、東京都では、
仮設住宅を設置しそこに住んでもらう方法ではなく、
公営住宅に入居してもった。

これは造りがしっかりしている、
というハード面もさることながら、
コミュニティがそこにある、
というソフト面の効果を期待したものだという。

この判断の評価は、
一人も孤独死は出なかった、
ということが物語っている。

       ★

以上、脈絡もなく記してきたが、
身近な生活における想像力を持つことの大切さを
犠牲者から学んできた。

さらに政策を研ぎ澄ませ、
それを私の持ち場である
さいたま市政に還元していくことを
明らかにすることで
私のささやかな追悼としたい。