K-1世界チャンピオンのマサト選手にさえ、
「痛い」と言わせるローキック。
このローキックと右ストレートを駆使し、
文字通り「やるか、やられるか」
のスリリングなスタイルで
勝負してきた武田幸三選手。
10月26日。
武田選手は引退した。
もともとキックボクシング出身。
タイの国技である「ムエタイ」で、
日本人では2人目となるチャンピオンになった。
この「ムエタイ・チャンピオン」は、
武田選手の代名詞だ。
私は武道の世界を本籍地としているので、
あえて言いたいのだが、
これは歴史的なことである。
オリンピック・チャンピオンに値することだ。
その後の舞台であるK-1のリングでも、
強豪との度重なる戦いに臨み、
名勝負を魅せてきた。
K-1では結局、
チャンピオンになることはできなかったが、
誰よりも記憶に残る選手であった。
その苛酷な戦いは、
彼の体に大きな代償を与えた。
顔面には220の縫い傷。
両目とも、ほとんど見えない。
顎や鼻は何度も砕かれた。
右ローキックを鍛えるために蹴り続けたサンドバックは、
血染めとなっているという。
彼のスネは何度も裂け、骨が飛び出していた。
引退試合。
相手は、強豪選手クラウス選手。
強い選手をあえて指名した。
何度もダウンするも立ち上がる。
そしてドクターストップ。
最後は、すべてを出し切って敗れた。
ファンからは「ありがとう」
の声が浴びせられる。
最後まで武田流を貫いたことへの
率直な想いなのだろう。
引退の挨拶にて。
「生きて家族の元に戻ることができる」
と込み上げる想いを抑えて言う。
これが大げさに聞こえないことが、
武田選手のこれまでを物語っていた。
安全で快適な生き方にばかり、
価値が置かれる現代社会。
そんな社会に対し、
武田選手は、その戦績を通じて、
もう一つの生き方を示した。
挨拶後。
花束を持ってリング周辺を一周。、
飛び交うファンからのねぎらいの言葉を受け、
戦い終えた足取りで、去って行く。
彼らしく多くを語らずに…
寡黙に仕事をやり遂げた男の去りゆく背中。
魂が揺さぶられた。
★ ★ ★
10月26日
●早朝〜午前、自宅にて市民生活委員会準備など
●午後、議会にて市民生活委員会準備など
●市民生活委員会関係者打ち合わせ
●夜、明大大学院「イギリス田園都市」など
●明大関係者との懇親
10月27日
●早朝〜午前、自宅にて市民生活委員会準備など
●午後、議会にて市民生活委員会準備など
●市民団体による市長への要望書提出に付き添い
●夜、自宅にて人作業など
10月28日
●早朝〜午前、自宅にて市民生活委員会準備など
●午後、重度障害者施設「さくら草」にて
関係者からヒアリング
●政策法務研修会「個人情報保護」
講師:村上順明大大学院教授
●夜、村上先生を囲んでの懇親
10月29日
●午前、南区内、開発現場調査
●午後、エファップジャポン現代政治
講義「事業仕分け」
●区議との懇談
●明大大学院関係者との懇親
10月30日
●早朝、自宅にて市民生活委員会準備など
●午前、議会にて市民生活委員会準備など
●会派研修「政策条例」講師:牧瀬稔さん
●午後、会派会議
●八ッ場ダム研修
●議会にて、事務作業など
●弁護士との打ち合わせ
●自宅にて、市民生活委員会準備など
10月31日
●全日、以下など。
・明日の中学生議会の準備
・市民生活委員会準備
・溜まりに溜まった事務作業&読書