さいたま市議会は、
「見沼田圃将来ビジョン検討特別委員会」
を設置した。
私はその委員。
9月25日にその第一回目の委員会が開催された。
見沼田圃――
その言葉から出てくるイメージは、
●豊かな自然空間、都市の農地
といった面もああれば、
●後を絶たない産廃不法投棄の場所
といったネガティブな面もある。
約5000年前。
ここは海であった。
当時の温暖化の影響である。
江戸時代。
農業用に広大な「溜め池」が作られた。
灌漑用のダムであり「見沼溜井」と名付けられた。
南側の田に水を供給する役割を担った。
8代将軍吉宗の時。
このため池による水害の防止などの観点で、
新田開発がおこなわれる。
ここで見沼代用水の誕生となる。
見沼溜井に代わる用水
これが「見沼代用水」の名前の由来である。
吉宗と同郷、紀州藩士の井沢弥惣兵衛により開発された。
今の見沼の原型は、
この時にできたものだ。
農業のための「利水」の面で利用されていた見沼だが、
昭和33年の狩野川台風による「治水」効果が見直され、
開発が進まないよう埼玉県が「見沼3原則」を策定。
このため、結果的に、
東京近郊における広大な自然緑地空間が残さた。
さいたま市では、
これを貴重な財産として、
保全するとともに、
今後は活用していく方向性にある。
約1260ヘクタールのこの地の主な構成は、
●農 地:41%(田6% 畑35%)
●公園・緑地:10%
となっている。
見沼をめぐる課題は山積みだ。
何もしなくとも、
この自然が残るというわけではない。
少し上げてみると、
●地権者の意向(市や県に買ってほしい)
●農業の後継ぎ問題
●産廃不法投棄の防止と撤去
●活用のための方策の検討
などである。
行政は「(仮称)見沼基本計画」を、
この2年間で策定する予定。
議会の特別委員会としては、
これらの進捗状況のチェックを含め、
関係者からヒアリングをし、実態把握からスタートする。
「将来ビジョン」をいう、
あまりにも壮大なスケールの委員会のため、
おそらくは、残りの1年半の任期では終了しないだろう。
この任期では、
まず実態把握がメインとなるのではないかと思う。
いずれにしても、
議会を挙げての見沼への取り組みがスタートした。