• 変わらず ブレず 前へ 未来へ。

5月末に市長に就任した清水はやと市長が、
さっそく6月議会に提案した「多選自粛条例」。

市長選において「4期以上は立候補しない」
と多選を自ら自粛することを宣言。

これを条例という形で、
住民の代表機関である議会による
決定を求めたものであった。

6月議会中には決着がつかず、
閉会中審査に持ち越されていた。

8月17日の総合政策委員会の審査において、
いよいよ本格審議。

結局、賛成少数で否決された。
この時点では、まだ議会での正式な決定ではない。

しかし、9月2日に予定されている
本会議における審議においても、
数の面から推測すれば否決される可能性が高い。

さらに。

議会には「一時不再議」(※)的要素があり、
よほどの状況の変化がなければ、
いったん判断の決定した案件は覆らない。

つまり当条例は、
日の目を見ないこととなりそうだ。

こうした状況を踏まえ、
当条例やその審議プロセス、
市長の姿勢、今後のさいたま市議会などについて、
私の考えを述べてみたい。

※同一会期中に一度議決された事件については,再び議決をしないとした議会運営のことをいい,これを一般に「一時不再議の原則」といいます。

       ★

■多選自粛条例

条例案は以下のとおり。
シンプルな内容だ。

※多選自粛条例案★★★

この条例は、存在しなくとも、
なんら市政運営には混乱を生じないものだ。

ただし。

この条例の注目すべきは、
この条例は、昨今の政治不信に対し、
その不信感を払拭する
一つの有力な手段であるという点だ。

地方自治体における首長は、
権限が集中する。

その分、不正が生じやすい。

権力の長期化が既得権益を生み出し、
不正の温床となることは言うまでもない。

そんな時代の教訓から、
改革派と呼ばれる首長らが、
自ら「自粛条例」を議会に
提案するケースが際立ってきた。

上田埼玉県知事や先日辞職した中田前横浜市長、
そして明大公共大学院でご一緒している松原大田区長ら、
が提案し、議会が決定している。

全国では12自治体で
制定されているようだ(ウィキペディアより)。

宣言のようなものであり拘束力はないが、
議会の審議プロセス経ることで、
住民への強い約束をしたこととなるから、
これを破り、気が変わった、
といって4期目に挑戦することとなれば、
議会全体つまり、市民全体に対して、
挑戦をする、という構造となる。

議会の審議を通過することで、
より重たい約束となる。

これを定めることで、
少しでもさいたま市民の
政治への信頼を高める効果を
期待したものだ、
と私は受け止めている。

だから、必ずしもなければならない条例ではないが、
政治の信頼回復という意味で賛同できる条例である。

■審議プロセス

清水市長は選挙時の約束を守り、
さっそく、最初の6月議会でこの条例案を提案した。

それを受けた議会サイドは、
私たち市長を応援した議員以外の多くが、
審議の「継続」、
つまり先送りの判断をした。

自民・公明に加えて「共産」までが同調したもの。

特に、最初の委員会では、
ほとんど審議がなされないまま、
「継続」が提案され決定された。

あまりにも露骨な「市長選の余韻」が、
現出した瞬間だった。

この後、6月議会中にで再度審議されるも、
結局先延ばし決定。
閉会中の審査に回された。

そして開かれたのが、
17日の総合政策委員会であった。

結果は賛成少数で否決。

私は別の用事で傍聴できなかったので、
報道による把握だが、
反対討論には以下のような発言があったそうだ。
その論に対する私の見解を合わせて記す。

●「条例の規定が不備で後任市長に迷惑が及ぶ」


私が見たところ、何ら後任に影響を及ぼすような文言は見られなかった。当ブログをご覧になっている方も、ぜひ自分の目で確認していただきたい。もし100歩譲って、そうだとしたら、不備な点を修正ができるはずで、反対までする論拠としては乏しい。

※多選自粛条例案★★★

●「市長個人の政治信条に基づくものは条例化になじまない」


こんなことを言ってしまっていいのか、と強い疑問を感じる。まずもって、当条例は「個人」的なものではない。市長はすでに公人だ。そして行政職員の条例策定プロセスを通って、議会に提出されたものだ。もし「法律的な観点からなじまない」のであれば、その時点でお蔵入りとなっていただろう。そもそも、これが個人のものというなら、「マニフェスト」も同様に個人のもの、ということとなろう。清水氏が当選することで与えられた、「市長」というポストの取り扱いをめぐる案件なのであって、個人的な範疇を対象としているのではない。「私は○○のスポーツが好きだ」といったこととは、まったくもって趣旨が異なるのである。はなはだ論点がずれていると言わざるを得ない。公人としての信条については、これは議会自身も決議を上げることがあるなどの例があり、全く問題はないだろう。ちなみに、政府の専門家による検討においては、本人が自粛すること、それを条例化することについては、違法性はないと結論付けていることを、付け加えておきたい。こうしたことから、この反対論は議員としての見識を疑ってしまうものだ。

●「3期となる根拠が今なお希薄」


確かにこの点は、一理ある。多選抑制の議論の中には、2期とする意見もある。私も「3期」を明確に説明できない。2期ではなくなぜ3期なのか。4期では、なぜだめなのか。この点は確かに難しい。感覚的要素があることも否めない。おそらく他の事例で3期が多いことや、10年を超えるあたりが限界、といったことなのだろう。この論点は確かに一理ある。ただし。だから「反対」なのだろうか。この点の疑問を指摘して「賛成」をする選択肢もあろう。この条例において、「3期の根拠があいまい」であることから、反対しなければならないほど大きな問題を含んでいるのかは疑問だ。あくまで「政治の信頼向上」という視点に立って考えたいものだ。

ということで、これらを見る限り、
私は明確な反対の論点を見出すことはできなかった。

さて。

ここで危惧していることがある。

市長選挙における清水市長との「距離感」によって、
議案が左右され過ぎてしまう点だ。

つまり、清水市長と異なる対立候補を応援した議員は、
最初から「反対」するために
論点を組み立てているのではないか。

どうも反対の論拠が乏しく
説得力に欠けることから、
そのような打算を感じてしまう。

もしそうだとしたら、
議会の主体性が欠けていることとなる。

市長への感情的な視点で議案を審議する議会。

これはとても市民に立脚しているとは思えない。

この点を市民が知ったら、
どんな気持ちとなるだろうか。
不信感が募るのではないだろうか。

今回の議案審議においては、
できれば「市民への政治の信頼回復」
についてを争点としてほしかった。

この点から反対論を論じるのであれば、
迫力があるものとなっただろう。

行政から自立した議会。

市長との距離感には大きく左右されず、
市民に立脚し
議会に携わる姿勢を有する議会のことだ。

この点はもちろん、
私たち市長を応援した議員にも、
厳しく問われる点だ。

応援した清水市長が提案したからすべて賛成、
では、古い政治そのものである。

この点は今後も忘れず留意しておきたい。

■市長の姿勢、今後のさいたま市議会

選挙での約束を実行しようとしたが
否決されてしまった。

明確な論拠が示されなかったことから、
市長選の余韻による
「こらしめ」的な側面も否めない。

清水市長の内心はいかがなものだろう。
心中察するに余りある。

しかし。

私は市長はこの悔しさを胸にとどめ、
より市民に向いて行動していくべきだと考える。

選挙時にあれだけ多くの市民に信任をいただいた。
自信をもって挑戦を続けていけばいい。

今回の件は否決という形になったが、
議会全体の判断も、
心ある市民の後押しで変化する例は数多くある。

少し時間がかるかもしれないが、
急ぐ必要もない。

まずは市民の信頼を、
より得る努力を日々積み重ねてほしい。

今後もしばらく議会は混乱することが予想される。

でもこの混乱こそ、
議会が生まれ変わるために
必要な機会なのだと理解している。

市長は市長として毅然とした態度をとるべきだ。

今回の結果からみると、
否決を回避するために議会に水面下で歩み寄る、
といった軽薄な行動をしていない証拠だとも言える。

こうした姿勢は必ず、
市民に評価されるものとなるだろう。

市民の判断により市長は変わった。

市長は今後も引き続き、
時に頑なに、時にしなやかに、
市民の立場に立って
リーダーシップを発揮してほしい。

一方のさいたま市議会。

議会も転換の時である。

今、議会基本条例の策定の渦中にある。

私たちの議会が、
これまでの旧来型の議会とは
一線を画することを宣言する
内容が盛り込まれる予定だ。

この新しい議会を宣言する条例の趣旨に沿った
行動を私たち議員が心がけるべきだ。

特に行政からの自立した議会。

こう意味で、先ほども触れたが、
私たち市長を応援した議員も、
そして別の候補を応援した議員も、
それぞれ市民に立脚し、
議会活動を心がけていく必要がある。

つまり市長との距離感を
過度に意識しすぎる議会活動を戒める、
ということだ。

新市長を誕生を機に、
さいたま市にしかない、他に例を見ない
市民に立脚した自治体議会づくりを目指していきたい。

これが「機能する議会へ」と自分の選挙時に約束した
私の議員としての目標である。