• 「猫の手貸します」

なぜ「民主党」「高山さとし前議員」を応援するのか
―日本政治の歴史的衆議院選挙への私の対応―

8月30日。解散により実施される衆議院総選挙の投票日。
日本政治の大きな転換を迎える選挙である。
海外のメディアの注目度も格段に異なる。

この選挙を前に、私自身のこの選挙における
対応について記しておきたい。

今回、私は行動する。

無所属でありながら、
政党を、そしてその所属議員を
応援することとなる。

議員となってからこれまで、
自らの選挙区については、
特定の候補者を表立って応援することは控えてきた。

しかし今回。
「民主党」そして「高山さとし前衆議院議員」を応援する。

これには以下の理由がある。

まず一つ目。
自民党を「与党ではない状態」にする、
という点だ。

歴史的には戦後政治において、
大きな役割を果たしてきた自民党。

しかし。
今、その老朽ぶりは言うまでもない。

細川政権誕生のころから、
自民党の「終わり」が始まっていた。

十数年前。
自民党は一度は政権の座を降りた。

しかし、社会党とさきがけと、
連立政権を組んで与党に戻る。

さらに与党となってからは、
公明党にお世話になって下駄をはかせてもらい、
小選挙区を有利に戦ってきた。

それでも厳しいとなると、
本流ではないが国民的支持の高い
小泉元首相をも担ぎ出した。

いわずもがな。
小泉元首相は「自民党をぶっこわ」そうとした人である。

さらには小泉元首相が総理を退いた後、
その後継者として、
若手のホープと言われた安倍元首相を担ぎ出した。

こうして懸命に延命策を続けて生き延びてきた。

与党であり続けるために、
できることは、やりつくした。

それでも国民から政権の座を
降りるよう肩を叩かれている

そもそも。

麻生首相に大きな失策があったのかといえば、
そうではない。
それなのに支持率の低下は著しい。

舌禍事件、というならば、
高支持率のまま退いた小泉元首相もまた、
深刻な問題発言も含め、
たびたびあったことだ。

本質は、もはや自民党という政党が
政権という立場に立つための
消費期限が過ぎているということなのだ。

都議会議員選挙の結果は、
想像を超えるものであった。

私も肌身で感じていた。
自民党幹部の自分の党の領域しか見えていない演説。
何ら心を打たなかった。

「自民党」という機能体が、
消費期限を過ぎたという何よりの証だ。

ついに自民党は、
国民から政権の地位を追われる立場となった。

この数十年間。

時代は大きく変化した。

冷戦が崩壊し、
経済も安全保障も、
グローバルな視点が必要となった。

バブル経済は崩壊し、
従来の公共事業によるケインズ政策が
うまくいかなくなる。

その結果、生じた膨大な借金。

先の見えない「不確実」な時代。

それまでの官僚主導の既定路線では
対応できない社会となった。

これからは国民の意向を反映し、
政治サイドが国民と議論を積み重ねながら、
国の方向性を決めていく。

「増税で大きなサービスを継続するのか、その反対か」
「アメリカとはどんな関係を築いていくのか」
「若者の貧困をどう克服していくのか」 ……

国の方向性を示し、
価値を行政に投与する役割。
政治サイドに、
今ほどこの役割が求められる時代はない。

大事な決定を官僚に任せてしまうことで、
この国の目指すべき方向が、
国民の意向と乖離が大きくなればなるほど、
国民の支持は離れていく。

自民党の低支持率の原因はここにある。

今、時代は政治が行政を
コントロールすることを求めている。

官僚や既得権益に対し、
毅然とした姿勢を持って取り組んでくれる
国会議員を待っている。

この時代の変化に、
自民党は対応できなかった。

一時、小泉元首相時代に高支持率を記録したのは、
いろいろ言われているが、
少なくとも小泉元首相が各種の守旧的主体と
闘ってきたその姿勢に対してのものだと考えている。

ならば、国民の熱狂的な支持は、
決して間違っているとは言えない。

官僚主導の政治形態を引きずったまま、
既得権益への利益誘導という手法を引きずったまま、
ここまで日本社会の運営を担ってきた自民党。

その運営者としての
第一義的責任を解かれる段階が、
いよいよ到来したのである。

それが今回の選挙の意味だ。

一方の担い手の民主党。

今回私は、この民主党を表立って応援する。
ただし8月30日までの間という限定であるが。

民主党の課題は少なくない。

はっきり言うが、
党の性格からして「仮設住宅」(田中秀征)である。

政党として政策は詰め切れているとは言えない。
この点は選挙までの間、
たびたび指摘されることだろう。

次々に打ち出されるマニフェストの項目。

これを見ても、
「バラマキ批判」にさらされているように、
900兆円の借金を抱えている国という
現状認識があるのだろうか、
と首をひねることもある。

また、ひどい例になると、
「自民党から出られなかったから民主党で出た」
「とりあえず当選しそうだから民主党から出た」
そんな議員も存在している。

党を選挙のための道具としてしか見ていない。
そんな姿勢の議員が少なくないように見える。
つまり選挙互助会的要素が強い。

だからあくまでも。

私にとっての民主党への応援は、
恒久的なものではなく、
あくまで今回の選挙に限る時限的なものだ。

その後については、
その時々で、
私自身の熟考と信念に従って
決めていくつもりだ。

そうは言っても。

民主党は、野党として、
政権のもう一つの担い手として、
ここまで国民の支持を得るまでの
取り組みをしてきたことは事実だ。

国民から一定の信頼を得た。

政府・自民党の失策が露呈した
官僚の天下りや国民年金の不祥事、
公共事業などの問題について、
厳しい姿勢を前面に打ち出して
自民党と対峙してきた。

また。

民主党と一昔前の野党・社会党との大きな違いは、
政権を担うことを視野に入れている点。
イデオロギーから離れ、
あくまで現実論を前提とした言動が見られる。

もともと自民党出身の
小沢前代表が党首になったことにより、
社会党系の要素を薄めることで、
自民党支持基盤からの支持も得やすくなった。

こうした姿勢や実績により、
国民からは政権のもう一つの担い手として認知された。

そして8月30日。
すべての条件はそろった。

民主党が政権の新たな担い手となり、
自民党が下野する瞬間が近づいている。

振り返れば。

今回の解散に至る経緯についても、
麻生総理に対する不信感は積み重なる。

民主党の勢いに押されるばかりか、
党内の権力争いという内向きな
狭い論理に基づくの解散。
国民には何ら拠り所のない、
共感をもたらさない解散である。

民主党の課題は数多くあるにしても、
一方の自民党候補者たちは、
スタートラインに立つことすら
満足にできていないまま投票日に向かう。

そんな印象だ。

さて。

政治は誰かが創ってくれるものではない。
国民が創るものだ。

では国民とは誰か。
「私」であり「あなた」である。

私は自らが議員となった際、
こんなことを深く考えるようになった。

どんな形であれ、
現在の政治に自分は深く関わっている。

投票に行かなかったり、
白票を投じていたとしても、
必ず政治には直接影響を与えている。

その政治を批判することは構わない。
気に食わないことが多い、
として政治を断罪してもいい。

しかし。

その批判は結局自分に向けられることとなる。

「では、あなたはどんな社会を作りたいのか」

そして。

「そのために、あなたは何をしたのか」

私たちは、
この答えをもって
政治に、選挙に、
果たして向かい合っているだろうか。

政治は議員の独占家業ではない。

20歳を超え、
日本国性を有していれば、
投票ができる。

さらには。

25歳(参議院議員・知事は30歳)を超えれば、
自ら立候補すらできる。

つまり私たちは主権者として、
政治を直接動かすことのできる立場なのだ。

主権者として現実の政治を創り出しているのだ。

この認識に立ち、
今回の選挙に向かいたい。

国民との共同作業を通して、
自民党を下野させる。

それにより。

これまで自民党という回路を通じて
政治に影響力を行使してきた
官僚や各種既得権の受益者などを、
自民党と切り離す。

やがては国民の意向が、
直接国政政党に反映される環境を創る。

もちろん。

民主党にも、
組合等の各種既得権益の要素を持つ
支持母体がある。

これはこれで注視すべきことだ。

「第2自民党」にならないよう、
私なりに注文をつけていくつもりだ。

繰り返す。

心ある国民との共同作業を通して、
自民党を下野させる。

これをやり遂げるために、
私も自分のこの時代の、
今この時の責任を自覚し、
民主党を応援する。

これが今回私が行動する一つ目の理由だ。

次に、説明したい。

小選挙区では、
なぜ高山さとし前衆議院議員を応援するのか。

比例は政党を選択する性格があるが、
小選挙区は政党よりも
人物で選択する性格がある。

人物として見た結果、
高山前議員を応援しようと決めたものだ。

これは。

以前の選挙でお世話になったわけでも、
次の選挙で支持を受ける約束をしたわけでもない。

それどころか。

民主党はさいたま市議選挙南区において、
新人候補を擁立した。

無党派層の支持基盤にかかわるもので
私の得票数に少なからず影響があったと予測される。

つまり市議選においては、
「昨日の敵(かたき)」のようなものだ。

それでも応援する決断をした。

それには以下の理由がある。

一つには、先ほど述べたように、
「自民党が下野するため」
という大義がある。

ただ、それだけではない。

高山前議員を
積極的に応援する理由がある。

まず、そもそも。

共産党や宗教団体を基盤とした議員は、
最初から私の選択肢にはない。

事実上の選択肢となるのは、
高山前議員と自民党の田中良生前議員だ。

田中前議員とは、
一度しか言葉を交わしていないが、
腰の低い、謙虚な方だと推察した。
私の近所の方々からも好評判である。

若手で一期目でありながら、
存在感ある政治家だ。

小泉元首相の改革路線を引き継ぐべく、
自らのマニフェストを作成していると聞く。

自民党所属議員の中でも、
人物としては、
今後も政界に残る資格のある
政治家の一人ではないか、とも思う。

しかし。

高山前議員とは、この間、
清水はやと市長の応援の際や
明治大学校友会、個別の懇談などで
話を積み重ねてきた。

そんな中で印象深いのは、
私に対し、
「選挙の応援をしてほしい」という言葉は、
ほとんど出てこなかった点だ。

内心は選挙のことが気にならない議員はいないだろう。
高山前議員とて同じことだ。

しかし。
高山前議員は次の言葉にこだわりを持っていた。

「国会議員は国会で仕事をすることが大切だ」

高山前議員は、
はっきりと、それも何度も言い切った。

こうした政治家としての姿勢を
繰り返し聞くにつけ、
私は高山前議員への信頼感を高めていった。

第15区の有権者からよく聞かれる言葉。
「高山は選挙区に姿を見せない」である。

この点。

選挙に汗を流す高山事務所のスタッフも、
気が気ではないようだ。

しかしこの言葉こそ、
高山前議員を象徴する最大の評価ではないか。

少なくとも私はそう思う。

国会において、
自らの役割を認識し、
最大限責任を果たす。

そのための時間を惜しまないという姿勢。

国会での責任ある発言や意思表示を心がけるならば、
調査等そのための準備に相当の時間が必要となる。

私もまた、市議会での言動こそ、
市議会議員の要諦であると自負している。
だからこそ、高山前議員の発言に大いに共感している。

有権者との交流はもちろん重要なことだが、
次の選挙での当選を重視するあまり、
国会の活動がおろそかになるならば本末転倒だ。

実際には、
選挙のための活動を優先させる議員が
大半を占めている。

だからこそ、
日本の政治は官僚を制御できず、
有権者から信頼されないのではないか。

今後は、国会での活躍や政策の発信力など、
真に国に貢献する議員を選びたいものだ。

地元回りを最優先とし、
国会議員としての本分を忘れた議員を
一人でも多く退場させなければならない。

そのためには。

長らくその受益者であった国民が、
「納税者」という側面を前面に出し、
議員を選択する姿勢も求められる。

以上の理由から、
民主党の高山さとし前衆議院議員を
応援することとしたものだ。

応援する以上。

政策や国の運営に関する考えなど
高山前議員からより一層聞く機会を持ちたいし、
地方分権に対する考えも深く聞きたいと考えている。

また、私の考えていることを伝え、
積極的に注文もつけていきたい。

このほかにも。

昨年、市議会内で民主党会派と
私の所属していた「無所属の会」が合流した点も、
大きな影響を与えている。

民主党所属地方議員とともに、
議会内の取り組みや、
市長選挙において時間を共にしてきた。

この経緯により、
民主党に対するハードルが低くなったことも、
今回の決断の前提として挙げられる。

いずれにしても。

無所属の私が民主党を積極的に応援することに、
違和感をお持ちの方もいるだろう。
現にそのような声も届いている。

そうした批判は甘んじて受けたい。

それでもなお、
私たちはこの時代に生きて、
生モノである政治に直面し、
それを創り上げて行く責任を負っている。

何よりも行動が大切だ。

こうした認識の下、
今回は自ら歴史的な選挙を前に、
積極的な行動を決意した。

以上で説明を終わりたい。