• 「猫の手貸します」

5月24日に投票日となる市長選挙。告示日である10日から、本格的な選挙戦がスタートする。

私自身にとって、今回ほど可能性を感じる選挙はない。自らの選挙も含めて、である。「自らの選挙も含めて」という言葉、決して自分の議席を軽んじているわけでも、自分がいい加減な活動をしているわけでもない。

誤解を招かないように丁寧に説明すれば、以下のようなことだ。少し長くなるがご覧いただきたい。

■さいたま市政の「巨大な壁」

私が浦和市議会議員に初当選した時。既に存在していた頑強な壁。それは、相川宗一氏とそれを支える後援団体、そして応援の市議会議員や業界団体、さらに行政職員が加わる構造体である。この構造が強固な壁として、私の目の前に立ちはだかっていた。

この壁は、合併後、相川氏が市長選挙で2度当選をしたため、再構築され、さらに巨大で頑強なものとなった。この構造体の内にいるか、外にいるか、立ち位置によって、モノゴトの実現性も違ってくる。巨大な既得権益の構造が出来上がっている。

といっても、市長が強権を発動して独裁的に左右している、という単純な話ではない。その周囲の環境を硬直化させ、時に機能不全を招いている。合併前後の相川氏の市長時代の18年間に、その構造体はひたすら膨脹を続けていった。

市議会議員は、自らの支持者への見返りを前提に、市長に対して発言を控えるなど遠慮をする。議会はこうして多数派が遠慮することにより、機能を充分に果たせないような影響を受け続けた。

行政職員もまた、極度に市長の顔色を見ながら、仕事をしていた。やる気のある職員が疲弊してしまう。結局、職員は市民を向いているとは言えない場面を、しばしば目の当たりにした。

その一方で、市長は自ら決めなければならない重要な点を行政職員に任せていた。特に行政改革。前例踏襲を文化とする行政職員の姿勢。これに合わせて、市長・議員の支持者でもある利害関係者に影響が及ぶため、大胆な行政改革が進められない。時代の変化を敏感に感じ取り、市長が大胆に強力に行政そのもののあり方を変えていかなければならなかった。

市内の事業者も、仕事を得る兼ね合いで、様々な影響を受けていた。市長を応援するのかしないのか。それによって、きつい縛りが存在していたと聞いている。

この構造体。相川氏とは一線を引いて議員活動を心掛けてきた私にとって、あまりにも巨大な「崩れない壁」だった。

私は、何度もこの壁に挑んでは、突き返されてきた。一議員の行動の限界を痛感することが、しばしばあった。そのつど、葛藤を繰り返してきた。

■壁を解体する環境は整った

ところが、18年の長期にわたって建設されてきた、言わばさいたまにおける「ベルリンの壁」。これが、解体される可能性が出てきた。5月24日の市長選挙に向けて、様々な環境が整ってきたのである。

何より、大多数の市民が、相川市長がお祖父さんの代から築きあげてきたこの構造体に辟易していること。現在、市内を回るたびに、「現在の市長は長い」という市民の声を頻繁に耳にする。この言葉に象徴されている。まずは市民の大部分が変化を求めていることが大きい要因だ。

そして、清水はやと氏が名乗りを上げたこと。清水氏は県議会議員時代、政策条例を積極的に提案してきた立場だ。政治家が主体的に行動する実績を積んできた。明らかに相川市長とは異なるタイプだといえる。相川氏は議会を「審議機関」とだけ位置付けている。これは一時代前の考え方だ。時代は、その枠にとどまらない議会像を求めている。機能する議会を前提とし、政治主導の行政改革が必要な時期に、清水氏のような積極型の政治家が行政の長に名乗りを上げた。

さらには、この清水氏の挑戦に様々な応援の輪が広がっていること。

国民の手に政治を奪還する「国民運動体」のグループ。自民党を飛び出した渡辺善美議員と江田憲司議員が応援に名を連ねている。清水氏は自民党を離党し、まず最初にこの運動に加わった。民主党県連の支持が決まる前の行動である。ここに清水氏の改革意欲が見られる。私はメンバーにこそなっていないが、この運動に注目している。

さいたま市議会の会派「民主党・無所属の会」は全面的に応援している。私たちの会派は、この4月に清水氏との間で政策協定の議論を積み重ねた。結果、合意に至った。この政策協定には、私の考えている政治主導の行政改革や危機管理対策、部局横断の自立支援体制の確立などの項目が列記されている。清水氏を通じて実現していくことが期待される。これは他の候補予定者では困難であり、清水氏だけがその対象なのである。政策協定の内容はマニフェストにも盛り込まれた。

さらには清水氏と私たちは、二元代表制の趣旨をお互いに確認して、市長・議会の緊張感ある関係を約束している。これまでの市長と議会の与党・野党的関係を抜本的に見直す。こうしたプロセスを経て、清水氏の応援を決めたものだ。これは清水氏が要職に就いたとして、政策協定と実際の行動にブレが生じれば、応援した清水氏であろうとも、私は議会人として厳しい対応をしてく、ということにほかならない。

民主党県連が応援に名を連ねたのは大きい。市長選挙のような大型選挙のノウハウや技術、行動力を持っている。市長選挙のスタートラインにつくためには、選挙戦の前にある程度の知名度がなければ勝負ができないと言われている。知名度を確保できなければ、せっかくの挑戦も、不戦敗に終わってしまう。「いい商品でも宣伝をして知ってもらえなければ、買ってもらえない」という経済界の偉人の言葉が頭に浮かぶ。枝野県連代表は頻繁に清水氏の応援にマイクを握っている。

ところで、私に対して直接・間接に「なぜ民主党と連携するのか」という旨の批判が届く。私はこう説明したい。確かに無所属の私が、民主党と連携している。しかし、内容を見ていただきたい。民主党の中でも、良質な勢力との連携である。今回参集して行動を共にする議員たち。国会議員にしても県議・市議にしても、このさいたま市を刷新することで、現在の日本の閉塞感を打ち破りたい、という改革意欲を兼ね備えている人たちばかりだ。今回の挑戦はそれぞれの議員が、何らかのリスクを抱えている。それでもなお、応援に踏み出すのは、見返りなどの小さなことを求めているのではなく、さいたま市の改革を大局に見ての行動である。

私たちの会派以外の無所属の市議会議員もまた、応援に名を連ねた。社民党系の議員らである。これにより、私たちを含め、議会において、行政とは是々非々で対応していこう、という考えを持つ議員たちが、ほとんど清水氏の応援に回ったというのも、今回の挑戦が、単なる市長擁立運動という性格を超えて、清水氏を通じての市政改革を抜本的に進める、という意味を示す事例である。行政の在り方も、議会と行政の在り方も変わることだろう。

■市政は市民が作るもの

私は、8年間の議員生活を経て確信したことがある。政治とは、誰かが創ってくれるものではない。そして、自然にそこにあるものでもない、ということだ。当たり前のこの言葉。できない理由を言うことは、単なる言い訳に過ぎない。何かが実現しないことを相川氏や自民党にだけ責任を押し付けてはならない。自分にも応分の責任があるのだ。今の市長が駄目だと批判的に見るならば、それに代わる市長を擁立し、当選させる努力をしなければ、結局は現在の市長を暗黙のうちに追認していることとなる。

繰り返すが、相川氏が18年間にわたって作り上げてきた壁を解体すること。これが、私が市長選挙に積極的に関わる動機である。

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明日からは、このブログの更新はできない。公職選挙法で選挙運動に関する文章を掲載できないこととされているためだ。

次に掲載する文章が、新しいさいたま市の誕生を記すこととなるよう、全力で臨む。

以上。