• 「猫の手貸します」

とどまることを知らない児童虐待。
時に命を落とす子どもが少なくない。

子どもの命を最優先することから、
近年は、虐待の「疑い」の段階で、
児童相談所が立ち入る傾向にある。

つまり確実に虐待が起きていることを
確認してから児童相談所が家庭に立ち入り、
子どもを保護する、という姿勢では、
手遅れとなる場合があるということだ。

悲劇を繰り返さないことを最優先にして、
児童相談所は「疑い」の段階で、
積極的な保護に動いているのが現状だ。

ところで。

児童虐待にまつわる報道に、
こんな記事を見つけた。

「異例の「証拠保全」」と題し、
静岡地裁の判断について述べている(産経新聞4月12日)。

静岡市児童相談所が、
虐待の疑いの段階で、
小学3年生を保護し、
児童養護施設に入所させていた。

これに対し、
静岡地裁に対して「措置は不当」として、
子どもの親が申し立てを行ない、
地裁はそれを認めた、という。

この流れに沿って、
裁判官が児童相談所に立ち入って
「証拠保全」の手続きを行なった。

虐待ではなかったことも想定されるとして、
裁判官がこの事例の資料を
収集することに踏み切ったのである。

手をこまねく姿への批判を受けていた児童相談所が、
ここ最近になって、
ようやく積極保護に踏み出した矢先、
という印象だ。

実際のこのケースの詳細はわからない。
報道を見る限りだから、
親の言い分が正しいかもしれない。

ただ、危惧されることがある。

このケースの推移によっては、
今後の児童相談所の行動に
心理的制約が科されることとなる、
という点だ。

記事によれば、
保護の判断を下した児童相談所に対し、
親による訴訟が増加している現状もあるという。

このような点が、
時として、児童相談所の判断を
後手に回らせてしまう様な影響に
つながらなければいいのだが。

「虐待」と「しつけ」の線引きは難しい。
はっきりそれと認識して
虐待を行なう親はいない(と思われる)のだ。

親は「しつけ」だという。
しかし、その「しつけ」で、
時に幼い命が失われる。

10年前なら「しつけ」で済んだことも、
今は虐待と認識が改められている事象も少なくない。

マスコミを通じた世論は、
常に行政に厳しい。

子どもが命を失ったら、
「児童相談所は何をしていたのか」
と批判の目を向ける。

一方で今回のように、
親からの圧力を受ける。

関係職員は、
保護と行き過ぎの狭間で、
神経をすり減らしているのだろう。

最前線にいる児童福祉司たちが、
対応可能な数を遙かに超える案件を抱え、
それでも子どものために、と、
懸命に仕事をしている姿を垣間見ている。

「保護の行き過ぎ」には常に配慮しつつも、
子どもの命を優先させる積極的な姿勢だけは、
もち続けてほしいものだ。

子どもの虐待死ほど、
虚しいものはない。

静岡のケースに注目したい。

       ★

4月9日

●午前、自宅にて事務作業等
●議会にて事務作業等
●午後、議会にて事務作業等
●大田区「巴商会」訪問
 …明大大学院ベトナム視察関係
●市長選挙関係会議
●市議らとの懇親

4月10日

●早朝、南浦和駅東口駅立ち
●午前、市議らとの懇談
●自宅にて事務作業等
●午後、議会にて事務作業等
●夜、自宅にて事務作業等

4月11日

●午前、自宅にて事務作業等
●葬祭情報センター関係者との打ち合わせ
●セカンドリーグ関係者との打ち合わせ
●清水はやと事務所開き
●市長選挙関係者との打ち合わせ
●明大大学院・青山ゼミ関係者との懇親

4月12日

●午前〜午後、自宅にて市長選関係準備等
●夜、市議との懇談