• 「猫の手貸します」

定額給付金について、
現在までのさいたま市の準備状況と、
私の見解を述べておきたいと思う。

■さいたま市の準備状況

当給付金の取り扱いプロセスは、
以下のようになる。

●市から各世帯へ「申請書」の送付
       ↓
●各世帯が「申請書」を返信用封筒で返信
       ↓
●口座への振り込み

給付金額は
●1万2000円
●65歳以上・18歳以下:2万円
となる。

さいたま市関係は、
●4月下旬:申請書の各世帯への送付
●問い合わせダイヤル:048-829-1192

となる。

実施の給付は5月中旬ごろと予想される。
申請期間は期限があり、
給付開始から「半年」である。

■定額給付金に対する土井の見解

私はこの定額給付金について、
異論を持っている。

政策とは言えない
低レベルな給付だと考えている。

もし自分が国会議員だったら
「反対」を投じていただろう。

一方で、さいたま市議会で審議した
予算案に対しては「賛成」した。

さいたま市議会では賛成したが、
制度の根本について、
この給付金には反対の立場だ。

そのため、自らの給付金は受け取らないと決めた。

それぞれの理由は以下の通りだ。

▼定額給付金そのものについては「反対」
 …国会での審議

国会で主に審議したのは、
●定額給付金という補助金のメニューを新設する
●この財源は国の借金の返済金から持ってくる

ことについてである。

定額給付金支給の仕組みは簡単にいえば、
●個人が申請する
    ↓
●市町村の窓口が振り込みや現金などで給付
    ↓
●市町村はかかったお金(給付金+事務費)を
 国に請求

というもの。

未曽有の経済危機だから、
何らかの形で公金を投資的に
経済政策に使用することについて
必ずしも否定するものではない。

時代に適した、
または将来世代に資する
投資的な公金の使途は有効だと考える。

ここでの論点は、
景気浮揚策として公金の使い方は適正なのかどうか、
である。

財源は「埋蔵金」。

850兆円に上る借金を返済する資金に
充てられる予定だったお金だ。

これを全国民に配布するという。
裕福か貧困かは問わず、である。

ある国民は
「給付金ではなく還付金だ」
と言っていた。

これこそ本質を突く言葉で、
結局は自ら納めた税金が
返ってくるだけなのではないか。

だとすれば、これまでの
財源を集めるための膨大なエネルギーは
浪費したということにならないか。

国全体の支出が「2兆円」。
そのうちさいたま市の対象は「180億円」。

大変な額だ。

これを所得状況に関係なく、
すべての国民を対象に配布するというのだ。

これは政策とはいえない。

導入の経緯・成り立ちはわかりやすい。

公明党の支持母体である創価学会に
選挙でお世話になっている自民党が、
公明党の意向を抑えられず、
選挙を前にこの給付を決めたものだ。

国で決めた制度だが、
その事務を担うのは自治体。

国の事務を担う「法定受託事務」ではなく、
自治体が主体的に行なう「自治事務」だという。

さいたま市の担当職員とすれば、
突然に仕事外の仕事が
降りかかってきた、のである。

振り返れば、
これまでも景気浮揚策は何度も打たれてきた。

「地域振興券」「定率減税」など、
これまでの景気浮揚策は、
明確な成果に結び付いていない、
といわれている。

この検証も明確にはなされてはない。

結局、予測される効果があいまいなまま、
新たな給付金の支給を決定してしまったのだ。

各種シンクタンクにより、
景気浮揚効果に関する指標が公表されているが、
どれを見ても、
明確な効果をうたっているものは目にしたことがない。

景気浮揚策とは、
単なる一方通行ではいけないのだ。
種火が本格的な炎に発展しなければならない。

炎の見通しがつかないまま、
その燃料を投入するのが、
定額給付金に対する私のイメージだ。

まさに砂漠に水を撒いていることにならないか。

定額給付金だけの話ではない。
こうした効果のあいまいな
政策を打つ政府の姿勢に対し、
厳しい視線を向けている。

「生活支援」という声もある。

生活に困窮した人々に、
一日も早くお金を給付する、
ということである。

確かに窓口に殺到するほど
待ち望んでいる方々も少なくないようだ。
このような人たちに何とか力になりたい気持ちは、
理解できる。

ただ、この種の政策は
何度も繰り返すことができるものではない。

投資して効果が出て回収し、
より経済基盤を強化することで、
雇用の機会を拡大したり財政を安定させていく。

生活困窮者への支援にも、
こうした視野が必要だ。

今後、借金がさらに重なり、
財政がより逼迫した場合。

そうなったとしたら、
生活困窮者の生活支援の手を打つことすら、
できなくなってしまう。

夕張市の事例は、
まさにそれを端的に表している。

破綻したら、
負担は増え、
サービスは最小限となる。

前向きな政策を打つことが困難となるだろう。

こうした定額給付金のような給付が、
結果的には、
将来において生活支援ができなくなることに
手を貸すことにならないか懸念している。

無責任な財政出動は、
その先に、
不安定な社会をもたらす。

繰り返せば、
決定プロセスは安易であるし、
景気浮揚効果もあいまい、
財政が厳しい中でありながら
打てる政策なのかとの疑問に加え、
挙句の果てには、
自治体に新たな本業外の事務を担わせる、
という制度である。

180億円あれば、
もしさいたま市において
そのお金の使い道を決定できるならば、
目の前にある課題に、
どれだけ有効に活用できたことか。

しかし、この給付金は、
個人に給付しなければならない、
という法律上のルールがあり、
融通の効かない制度だ。

大阪府の橋本知事が
異論を唱えていたのは記憶に新しい。

分権の議論になじまない制度ともいえる。

厳しい物言いだが、
政策としては「愚策」の部類に入るのだろう。

▼さいたま市の議案に「賛成」した件

さいたま市議会で審議されたのは、
「定額給付金の是か非か」ではない。

これは国会の審議で行なわれた。

すでに国会において「賛成」が多数派を占め、
法律が通過した。

さいたま市議会で審議したのは、
定額給付金の給付の事業を
実施するか、しないか、である。

さらに踏み込んで言えば、
「市民が定額給付金を申請できる権利」
を付与するかどうか、である。

もちろん市議会においても、
国の法律の是非を含めて
判断をすることもある。

しかし。

今回は、
この「権利の付与」の視点から
「賛成」をしたものだ。

法律が通った以上、
市民への権利を付与しない、
ことは得策ではない。

もっといい公金の使い道はある。
しかし、国会の場で法律で決まった。
あとはその制度を使うかどうか、
という段階に来ている。

それがさいたま市議会における意思決定の部分だ。

生活上のお金を必要としている人。
市民の消費を待ち望んでいる商店街。
決してこれらの人が間違っているわけではない。

見渡せは困窮している方は多く存在しており、
その数は増える一方だ。

この人たちにお金が回るように配慮することは
間違いではないと考える。

困窮者の支援の支援が悪いのではなく、
政策としての精度に問題がある。

もしこれを市議会が否決していたら。

さいたま市の分「180億円」が、
そっくりそのまま国の財政運営上の
「不用額」となるだけだ。

市の財政に責任を負う議員として、
市の財政の拡大につながる側面を重視した。

これが国会における政策決定には反対するものの、
市の議案に賛成した理由である。

ちなみに、さいたま市では、
経済局内に定額給付金担当が置かれた。

この職員たちは通常の仕事と兼務である。

むしろ新たな仕事が増えたことから、
通常の仕事へのエネルギーが
削がれてしまうのではないかと心配している。

▼私自身の判断

国会で法律が成立し、
市議会で予算が成立した。

これで、さいたま市民すべてが給付の対象となる。

当然「私」も、である。
1万2000円を受け取る権利を有する。

ただ、私は、先ほど記したとおり、
そもそもは「反対」の立場である。

市財政の拡大という条件付きで
議会での予算案にも賛成した立場だ。

ここで。

「自治体への寄付」という選択肢がある。

さいたま市の財政へ、
そのまま寄付をするという選択肢だ。

さいたま市財政を少しでも拡大できるならば、
有力な一つの選択肢だ。

ところが。

私は議員である。

公職選挙法199条の2第1項(公職の候補者等の寄附の禁止)

公職の候補者又は公職の候補者となろうとする者(公職にある者を含む。以下この条において「公職の候補者等」という。)は、当該選挙区(選挙区がないときは選挙の行われる区域。以下この条において同じ。)内にある者に対し、いかなる名義をもってするを問わず、寄附をしてはならない。

議員は、いかなる名義であろうと、
選挙区内に対する寄付は一切認められない。

というわけで、
定額給付金の支給を受け、
市財政へ寄付をするという選択肢は消えた。

残るは「受け取らない」ということのみ。

受け取って地域経済に貢献する、
という考えもあるだろう。

しかしこれでは、
私の「個人的な利益」にもつながる。

これでは、
自分の議員としての態度表明と
実際の行動との整合性がつかないこととなる。

だから、申請しない、
と決めている。

これは、ささやかな意思表示だ。

「受け取らないことが公職選挙法に抵触するのでは」
との懸念に対しては、
この給付は申請主義で、
「申請をしない」という選択肢があるために、
「受け取らないこと」=「議員が寄付をすること」
という構図にはならないことは、
確認済みだ。

ちなみに議員報酬は、
法律上「支給しなければならない」ため、
受け取りを拒否すると、
「寄付にあたる」と判断されるという。

 ……

頑なで、青臭い態度の、
その判断の根拠を、
以上に記しておきたい。