• 「猫の手貸します」

それは議会改革プロジェクトの議論が
白熱している時だった。

突然のアポなしの来客。

以前、大変お世話になったTさんが、
議会の会派の控室を訪ねてくださった。

2003年、辞職後初の選挙の時。

勢いよく辞職したものの、
それまでの応援団と決別し、
文字通り一から出発の選挙だった。
なかなか先の見えない毎日を送っていた。

Tさんは、
選挙を前にほぼ一人で取り組んでいる私の姿を
意気に感じていただき、
様々な活動に手を貸してくださった。

そればかりではなく、
朝の駅立ちが終わると、
自宅に招いていただき、
奥様の手作りのサンドイッチを
よくごちそうになったものだ。

ところが一転。

当選後、しばらくしての前任期中のとある日。

Tさんから、
突然、私に「話がある」との連絡をいただいた。

ある喫茶店で数人の方とともにお会いした。
最初からどなり声が店内に響き渡る展開だった。

そしてしばらくのどなり声の後、
「もう二度とあんたを応援しない」
との強烈な叱責を受けた。
決別の時、であった。

話し合いの余地はなかった。
一方的な話の展開だった。

実は、心ない方々による
事実に基づかない一方的な話が
私の知らないところで流布していた。

Tさんもその話を聞き、
私の意図とは異なる方向に誤解され、
その誤解から怒りを感じて、
あのような言動に至ったのだった。

このことは、
しばらくしてTさんが
直接私に伝えてくださり、
判明したことである。

そもそも。

私の考え方や姿勢に共鳴してくださり、
応援くださった方々から、
後に批判されたり、
軽蔑されたりすることほど、
議員として辛いことはない。

このケースも、
辛い気持をどこかに引きずっていたので、
Tさんから真実を伝えられた時には、
安堵の気持ちとなったことを
今でも鮮明に覚えている。

そのTさんが、
議会に私を訪ねてきて来てくださったのだ。

用事で近くまで来たので寄ってみた、
ということだった。

短い時間であったが、
あ互いに様々な話をし、
またの再開を約束して別れた。

もう御年70歳を過ぎただろうか。
まだまだ元気な様子であった。

       ★

2月6日

●早朝、自宅にて2月議会準備など
●午前、議会にて会派内議会改革PT
 …議会基本条例の前文などの議論
●午後、京都府・事業仕分け傍聴
 …例によって日帰りの強行軍
  初の議会主催の事業仕分け。
  京都府民主会派が実施。
  さいたま市議会・行革特別委員会での実施の
  様々な参考ななる話を聞いてきた。
●夜、自宅にて2月議会準備など