• 「猫の手貸します」

いつもお読みいただきありがとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。

今回は年末年始の動静を
ダイジェストにて、
以下に記します。

昨年末には一年を振り返っての
長い文章を準備していたのですが、
キーを打つ手がなかなか進まず、
でここまできてしまいました。

なかなか節目の挨拶ができず恐縮です。

今年、初めてのブログのアップ。
まずはこの年末年始の動静をダイジェストで記します。

       ★

12月26日ごろ 風邪によるやや腹痛

腸のあたりに刺したような腹痛を感じる。

これはほぼ毎年恒例の出来事。
もはや恒例行事とといってもいい。

忘年会などで痛飲の毎日を送り、
気候的にも急激に寒くなるなどの条件が重なると、
こうなる。

どうも経験的には、
風邪の一つの症状のようだ。

ひどい時には、
動けず、何を食べてもうなり声をあげるほど。

今回は早めの対応で回復。

暴飲暴食を避け、
お腹にホッカイロを貼り付けてよく寝ること。
これが今回の回復の処方箋だった。

12月27-28日 佐久病院視察など

先日記した佐久病院を訪問。
最前線で地域医療に従事している医師の話を含め、
総勢30名の訪問団と熱心なやり取りを行なった。

医師不足や地域医療への今後の視点で
貴重な意見をいただいた。

詳しくば別項で記します。

12月23-30日 熱気ある忘年会いくつか

いくつかの忘年会に参加した。

ある忘年会では、
行政に依存するやり方ではこれからは駄目だ、
自分でできることは自分でやろう、
といった若手実業家からのたくましい一言も飛び出し、
決して2009年が悲観する年ではないことを
予感をさせられました。

医療関係者との懇親では、
末期の患者を美談に仕立て上げよう
という風潮への懸念の話を聞いた。
医師不足も深刻で、
志ある従事者に支えられている現状を聞いた。

埼玉の地で「広島カープ」の応援会を結成する、
との趣向の会もあった。
埼玉で「赤」と言えば、
浦和レッズの代名詞。
しかし、少数派でありながら、
カープの応援団も熱を帯びていきそうな雰囲気だった。

12月30日 空手道場稽古納め・大掃除

今年は充分な稽古ができたとは言えない年だった。

そして明らかに体が右肩上がりの成長をやめ、
安定期に入ったことを思い知った
一年でもあった。

高校生などの若手の成長は驚くほど。
ちょっと前まで毎回のように
泣きべそをかいていた少年が、
後輩の指導をしているケースも。
コツコツ努力し、
若手と互角に稽古する50代の有段者もいる。

幼い勇者や一般部の努力家たちに刺激を受けている。

体力は衰えたとしても、
負けてなるものか、
と闘争心に火が付く。

結局は自分と向き合うことが本質だとわかる。

やはり、精神的にもに、肉体的にも、
空手や武道は私のバックボーンなのだなあ、
とつくづく思う。

12月30日には、
お世話になった道場に感謝の気持ちを込めて、
道場生らとともに「大掃除」をし、
次の年の健闘を誓い合った。

1月1日 初日の出小旅行
(↑この項ちょっと長いですので…)

初日の出小旅行。

毎年恒例。
18歳の年から19年目の実績。
来年は20周年になるのか!

行き先もメンバーも、いつも変わる。
山か海か。どこで御来光と対面するのか。
大まかな方向を決め、出発する。
あとは偶然に任せる。

その偶然の中に
思いがけない魅力があるのが
この小旅行の醍醐味である。

こんな「諸行無常」と、
「いたるところ青山あり」を
地で行くのがこの旅行のコンセプトである。

今年は、まず南区内の知人にお誘いを受け、
あいさつに出向き、それを終えてから、
準備をし、夜中の3時頃の出発となった。

今年10月に接骨院を開業した従弟と2人で、
しんしんと冷える闇の中を車に乗り込む。

今年は「北茨城だ〜っ!」
運転手は君だ!助手席は僕だ!
でいよいよ出発。

ところでこの従弟。

いまでは接骨院を開業し
先生として活躍しているが、
数年前にはせっかく浜辺に到着し、
これから御来光というイザその時に、
車で眠ってしまった。

さらにはその瞬間に見ていた夢が
まさに初日の出を見る夢だった。

という逸話を持つ人物である。

さて、車に乗ること数時間。
その道中にもドラマはある。

車からはIPODに込められた数々の歌が流れる。

音楽はその音を聞いていた
時期の思い出を思い出させる。
いい曲は時代を問わずいいものだ。

最近の歌から演歌まで幅広い。

しかし、お互いに自分の気に入った歌以外は、
興味がないから、
流す曲によってイサカイになることもしばし。

選曲は助手席に座る私の役割だから、
責任重大だ。
運転手に気持ちよく
「約束の地」まで導いてもらわねばなるまい。

北上するにつれて、
窓ガラスが曇りだす。
そうでなくとも朝方の
一番寒い時間帯であることに加え、
寒い領域に到達していることを示していた。

やがて空が薄く白みを帯びてきたころ、
我々は国道6号線の北上ミッションをやめ、
太陽に向かって右に舵、もといハンドルを切った。

名前はよくわからないが、
見事な海岸線に到着。

私の経験値に基づく絶好の初日の出スポットは、
●人が少ないこと
●落ち着いてみることのできる場所であること
●海の場合、水平線がなるべく180度見えること
こんな条件を備えた場所である。

以前、海岸線のいい場所だったが、
人が多い場所で、こんなことがあった。
日の出のまさにその瞬間、
「ガシャン」という音とともに
どこぞの人同士の車が衝突したのである。
誰かが誰かの車にぶつけたのだが、
日の出にあせって
前方不注意をしてしまったのだろう。

その瞬間という最高の場面が、
最悪の場面になってしまうという、
大変気の毒なアクシデントだったが、
しかし、無関係なこちらとしては、
どなり声のナレーション付きの御来光は、
いささか興ざめの感があったぞ、君たち。

人が多い場所はそうでなくとも
うるさくて集中できにくい。
人の頭も邪魔になる時もある。
そもそも自身が人ごみが苦手であるし。

ということで、
初日の出小旅行においては、
人込みを避ける風習・道徳・文化・美徳が
成立し今日に至ったものである。

で、今回は絶好の場所を確保できた。

海岸線

▲海岸写真

待つこと20分。

約束の地にいたのは、
総勢でも100人くらい。
家族連れ、カップルや
友人たちと連れ立ったグループたち。

それぞれに適度な距離感を保ち、
次第に赤みを帯びてくる
海岸線のその部分を見つめる。

口数は少なくなる。

私はテトラポットの上に立つ。
吹きすさぶ海風もこの期に及んでは関係ない。
「寒い」という言葉も忘れる。

そして…

強い光が海岸線の雲の間から飛び出す。
そちこちで歓声が上がる。
やがて海に一筋の線をもたらす。
その線は自分に向かってくる。
(↑あたりまえですね)

初日の出

▲御来光写真

何か人間の力ではいかんともしがたい力が、
自分に何かを与えてくれているかのようだ。
(↑ちょっと酔っていますね)

ああ、今年も始まったなあ。
しばらくそんな感慨に浸っていた。

思えば、365日の一日にすぎない。

単なる一年の一日であって、
日の出を見たければ、
毎日見れるではないか!

そもそも一年の区切りなどというが、
誰かが便宜的に位置づけただけなのに、
そんなものに大騒ぎする人の気がしれないよ!

興奮冷めやらず、
そんな意見の人もいるかもしれない。

確かにそうなのだが、
これは簡単には割り切れない精神的なことなので、
理解はしていただかなくとも、
私のささやかな行事を見逃していただきたい。

私にとっては、
この行事があることが、
昨年まで抱えていた
様々な物事に対する切り替えや反省、
整理につながっていることは確かなのだ。

というわけで、
この世に生あらば、
来年もまた旅に出たいと思う。
(↑なんだか仰々しいですね)

御来光後は、これもまた恒例なのだが、
行きあたりばったりで偶然遭遇した
神社や寺社に初詣をする。

今年は「大甕(おおみか)神社」
というところで手を合わせた。

大甕神社

▲大甕神社写真

仏心を尊べど、これを頼まず。

詣でるときには、
吉川英治の宮本武蔵のこの一節をいつも思い出す。

おみくじは「中吉」。
「大」ではなく「中」であることが意味深だ。

この後は帰途に着くが、
その方向に存在する温泉に立ち寄ったり、
注目スポットに立ち寄るのが毎年の通例。

今年は筑波山のふもとにある
温泉につかり身を清め、
牛久の大仏を拝んできた。

牛久の大仏については、
言うまでもありますまい。

正月らしく多くの人ごみ。
それを目当てにした出店も多数。

牛久の大仏様、
とにかく、でかい!

120メートル!

ギネスに登録した?申請中?
とにかくギネス級である。

大仏

▲牛久大仏写真

墓地にそびえ立つ守り神だと思いきや、
大仏様の内部に入ることができるのですね。
つまり参観できることとなっていたので、
靴を脱ぎ、内部へ。

階段を上がると3階の中央部には仏壇があって、
祈りを奉げることができるようになっている。

そこで見た光景。

インド人らしき方が2人。
かがんで手を合わせ身じろぎもしない。

相当な時間がたった。
それでも微動だにしない。
(↑これを見つめている私だった)

祈り

▲インドの方写真

ああ、こうした姿勢を
いつしか私たちは失ってしまったのかもしれない、
私にとって、この光景は、
そんな反省をする機会となった。

いやいや何も宗教心を持つことのうんぬんを
言っているのではない。

私が心を動かされたのは、
彼らの「真剣な姿勢」だったのだと思う。

いざという時の真剣な気持ち。
そしてそれに伴う行動。

その真剣さを彼らから痛いほど感じた。

仏教は私たちの国の文化でもあるのに、
海外の方にその信仰の仕方を教えられるというのも、
いささか恥ずかしかった。
…反省。

海外の来客から言葉によらない
「気づき」の機会を得たものである。

そんなこんながあり、
無事に帰宅しました。

1月2日 親戚新年会

親類が集まっての毎年恒例の新年会。
本家の家に集まった総勢20名強。
80歳後半の祖母を中心に、
今年の健康をお互いに展望する機会でした。

1月5日 議会活動スタート

さいたま市主催の名刺交換会。
そしてその直後には会派の会議。

いよいよ議会活動もスタート。

挨拶もそこそこに、
議会での話や今年の市政に関する話。

今年は市長の任期が切れる(つまり市長選がある)し、
議会改革の更なる加速というテーマもある。
個人的には本筋の行政改革を議会の手で行っていく、
そのための具体的な形として、
「事業仕分け作業」の議会での実施に向けて、
まずは最大のエネルギーを注ぎたい。

また、2月議会では予算委員会において、
市政の要である当初予算の審議もある。

税収が減り、
ニーズが複雑多様化する中で、
取捨選択する立場に立つ政治家。

一方の議会に所属する私たちの力量が問われている。

〜1月7日 まだまだ続く大掃除

もう自分の掃除下手には何も言うまい。

整理しても整理しても
次から次に地層のように積み重なる
資料や新聞記事の山。
本は、もう、
とうに本箱に入りきらなくなっている。

そんな状況なのに、
捨てられない…。

すでに家族からはあきれられている。

わかってくれるのは、
その雑沓の山を嬉しそうに
駆け巡る愚猫だけだニャー。

ただ、年末一念発起しました。
このままではいけない。
何とかしなければ。

ということで、
今年は「捨てる」年となります。

そのための大掃除は
年明け後もまだまだ続いています。

とにかく捨てます!

       ★

いや〜長くなりました。
最後までお読みいただき
ありがとうございました。

本年もまた、
当ブログをぜひご覧ください。