• 「猫の手貸します」

感想のようなもの

最後に感想を述べておきたいと思います。

私は思うのです。

議員を裁くことを求めるのなら、
大前提として慎重に準備し、
行動するべきではなかったでしょうか。

事実確認は怠る。
感情的で冷静さを欠く言動の数々。
自らの主観を
押し付けるかのような論を展開する。
間違えは認めない。
(認めたのは別の懲罰の弁明の中)

他の議員の身分に大きな影響を
与えかねないものなんですよ。
時として「除名」の選択もあるんですよ。
懲罰というものには。

いかに吉田議員が
他の議員の立場を軽んじているか。

自らの主張は聞かせたい。
しかし他の議員の身分や言動は軽んじる。

この数日間で、
こうした吉田議員の本質が
明らかになったと言えるでしょう。

私は今回学習しました。
今後、「吉田一郎」という人の本質を、
このように捉えていくこととなるでしょう。

最も腹立たしいこと。
私に対するこうした行為は、
私を選んでくださった方々をも
侮辱し貶める行為であるということです。

吉田議員は弁明において、
自らに投票してくれた有権者のことを
ことさら叫んでいた。

しかしそれは吉田議員に限ったことではない。

他の議員も同様に、
選んでくださった方々に感謝の気持ちを持ち、
その責任を果たそうと必死の思いで、
活動しているのではないでしょうか。

 ……

まだまだ、言いたいことはたくさんある。
でもこれくらいにしよう。
あまり生産性のないことです。

私たち議員が直面しているのは、
120万人の市民の安定した生活の継続に
責任を果たすことであり、
持続可能なさいたま市に責任を負うこと。

時代は、
財政が不確実性のある中、
今後の社会構造の転換を
促していくことを求めている。

この転換には大きなひずみが生じる。
このひずみによる社会的な影響をできる限り
小さくしなければならない。

そして、この社会には把握できないほどの
課題が埋もれている。

従来の量をはるかに超える仕事に
歯を食いしばっている人たち、
子育てに四苦八苦する親たち、
理不尽な環境で
生活すらままならない子どもたち…

高齢者・障害者・児童福祉など
現場の従事者たちは、
今日も新たな難問に
突き当たって身を削っている。

そのような人たちに思いを馳せ、
少しでも役に立つ方向に、
できる限りエネルギーを割きたいと思う。

この件は、年明けの
新たな懲罰委員会に譲ることとし、
今回の報告は、
この感想を持って終わります。