• 「猫の手貸します」

日誌を記すことができず恐縮です。近いうちに再開し、この間のことを報告させていただきますので、もうしばらくお待ちください。
私が元気であることをお伝えする意味で、雑感を記します。これは出先にて、携帯電話からの投稿です。

とある朝。ワケあって機上の者となるため、出かけた日のことである。

搭乗時刻は午前6時55分。羽田までは、たっぷり90分はかかるから、5時には南浦和の駅で京浜東北線に乗り込んでいなければならない。

起床時刻3時すぎ。熱いシャワーを浴び、荷物の確認をしていざ出陣となった。
と、ここで、私の自宅から駅までの道程だが、浦和駅までバスにて約20分。都内に出るときなどこの方法を使う。しかし。朝4時半前にはバスは通っていない。
他の移動手段は自転車が考えられるが、日を跨ぐため、駐輪場に停めるのは、煩わしい。

ゑ〜い、ままよ! 歩いてやるわい、と一念発起することに。

歩くと一番近くで東浦和に約20分。南浦和が約30分。浦和駅ともなると60分?! 東浦和は近い反面、本数の少ない武蔵野線という物理的リスクに加え、むかうべき方角に背を向けなければならない。敵前逃亡のようで何か気持ちが悪い。こうした心理的リスクも手伝って、南浦和歩け歩け30分一本勝負を選択することとした。

こうしてすべての準備を終え、歩きやすい靴を履き、耳には英会話の入ったIPODを詰め込み、いざ闇夜に飛び出していった。

まずは第二産業道路をわたる。道路を「水のない川」とは、よく言ったものだが、赤信号で突っ込んでくるフトドキな鉄砲水ヤローの行き過ぎるのを待って、向こう岸に渡った。

コンビニにあるポストに手紙を放り込み坂を下って行くと、徐々に灯りがなくなっていく。

武蔵野線の線路沿いを登り降りするころには、すっかり闇夜を歩く状況だ。

ふと。向こうから心許ない灯りがゆっくりと近づいてくる。自転車のお爺さんであった。お爺さん、こちらが不気味に思えたかも知れんが、こちらも緊張しましたぜ。

さらに歩くと、体が暖かくなってくる。体内から発火するような、気持ちのいいこの現象は、道場での稽古でも感じる。20分程の連続運動がもたらす、幸せの瞬間である。

昼間と違って、車通りの少ない産業道路を横切る。ここで全体の半分くらいか。灯りの消えたヒト気のない道場に一礼をして緩やかな下り坂を歩く。

籐衛門川を渡り、コンビニの灯りの誘惑を振り切って駅へ向かう。この辺りで随分、余裕をもって到着できるとの確信を持ち、なぜか英語でアイムハピーとつぶやき、さらになぜか、オリンピック百メートル走のジャマイカの選手が思い浮かんだ。

その光景を見たのは、武蔵野線の線路をくぐった後であった。

道路の向こう側の歩道を、あまりにもゆっくりと歩く二人。ご高齢の夫婦であった。明らかに足の不自由なお婆さんは、杖なしでは歩けない。それを支えるお爺さんの手にも、杖が見受けられた。

ヒト気のない早朝に、大切な人のリハビリに付き添う。お爺さんも、決して楽なはずがないことは、すぐに理解できた。

おそらく、お婆さんは脳のご病気で半身に後遺症が残ってしまったのだろう。発症の際には、お二人とさぞかし辛かっただろう。でも生きていてくれてありがとう、そんな想いの伝わるような、本当に幸せそうな表情に見えた。

ある人が言う。人間は人を思いやる気持ちをもっているが、これは先天的なものではない。生まれた後に身につけるものなのだと。

名も知らないお二人の、朝の散歩の光景。思わず胸が熱くなった。見えないように一礼をして、歩き続けた。
酔ったオバサン。何事か言っている。どうも疲れたようだ。自転車を手に持って時々大声で叫んでいる。いつもなら、嫌悪感を持つのだが、この日は不思議にやさしくなれた。

こうして賞味、約30分の道程は終わりを迎えたのであった。