• 「猫の手貸します」

最近、深刻であると考えていることの一つに、
「現場の従事者の現状」がある。

児童養護施設の職員たちの献身的な仕事ぶりは、
今も目に浮かんでくる。
安い給料ながら、
時間外の仕事もいとわない。

この職員たちのおかげで、
理由があって親と暮らすことの
できない子どもたちは、
一定の安定の下に生活が維持できている。

こうした低い待遇ながら、
献身的な仕事をしている現場従事者は、
官民問わず多分野で存在している。

そしてこの従事者の「継続性」に
赤信号が灯り始めているのである。

介護現場や障害者施設、看護士
生活保護のケースワーカーなど、
社会の要所で役割を果たしている従事者たちの悲鳴は、
直接・間接的に聞こえてくる。

低い待遇。
そして重労働。
高いニーズ。
社会的要請が高いために、
それに応えるには、
待遇以上の仕事を余儀なくされている。

しかし、多くの従事者たちは、
自らの生活を犠牲にし、
志と利用者への貢献の思いを基盤にして、
自らを鼓舞している。

こんなことは長くは続かない。
同じ人間である。
精神的にも肉体的にもすり減らし、
やがては仕事をやめざるを得なくなるという。

「景気がよくなるとみんな辞めていくんです」
ある関係者から聞いた言葉だ。
介護の民間事業所の職員の話だ。

一瞬、耳を疑った。
が、なるほど、低い待遇と重労働の中で
仕事を余儀なくされている従事者たちは、
好景気となり、
他の仕事の募集枠が増えれば、
もっと高待遇で楽な仕事に向かうのである。

このように経済的な待遇面でも、
継続性は危うい状況にある。

以上のようにさまざまな要因で、
従事者が継続が困難となり、
現場の実際の経験に
裏打ちされた蓄積は失われていくのである。

今、このような現象は、
どの分野でも共通の課題となっているのだろう。

現場の従事者は、
経験を積み重ねることによって、
よりきめ細かく丁寧な仕事を提供できる。
利用者の満足度がより高くなる。

公的なサービスの質は、
ハードに投資すること(も大切だが)よりも、
その現場で従事する人の質で決まる、
というのは世界的な常識であろう。

従事する人の質を上げるために、
いくら精神論をぶっても意味が無い。
もう限界を迎えているのである。

経験者が数年で辞めて、
また新しい人が従事しても、
一から積み上げることとなる。

これを繰り返すならば
社会全体としては、
サービスの質は一行に向上せず、
利用者の満足度は上がらない。

どうしたらいいか…。

先日、私の会派を訪問された
学童保育連絡会の役員の方とも
雑談で話したのだが、
なかなか明快な答えは見つからない。
民間の学童保育の職員も
同じ問題を抱えているのだが…。

私は財政をどんどん支出しろ、
という盲目的な支出論の立場には立っていない。
将来の世代へツケをまわすような
無責任な財政支出は慎まなければならない。
これは夕張市の置かれた現状からの教訓でもある。

だとすれば、
財政的にも限られた中で
対応していかなければならない。

確立されたものではないのだが、
私の現在の頭には、
●費用捻出のため必要性の無い各種事業の廃止
●その浮いたお金による
 現場の従事者の一定の待遇の確保
といった方向性のイメージが浮かんでいる。

繰り返すが、
この従事者たちによる、
低待遇ながら、
献身的な仕事による現場での活躍があるから、
私たちの社会は
安定性を保つことができている、
といえる。

この安定の仕組みが壊れたら、
それこそ社会全体の混乱につながるだろう。

「税金を出しているのに何事か!」
と感情論で言う人もいるかもしれない。

が、公的な分野は、
社会の安定のための要所であるし、
それはそれで厳しい現実に
直面しているのである。

もしここが瓦解したら、
その結果生じる社会的コストが、
改めてより一層かかってしまうことを
覚悟しなければならない。

現場の従事者の安定性・継続性の問題は、
深刻であり、
猶予のない問題である、
と深刻に受け止めている。

       ★

5月27日(火)

●午前、自宅にて事務作業など
●午後、予算委員会に関する打ち合わせ
●学童保育連絡会の役員と懇談
●夜、議員らとの懇親

5月28日(水)

●午前、会派ヒアリング
●会派会議
●午後、予算委員会理事会
●予算委員会打ち合わせ
●議員室で事務作業など
●友人との懇親

5月29日(木)

●午前、総合政策常任委員会
●午後、自宅にて事務作業など
●夜、道場にて稽古

5月30日(金)

●終日自宅にて事務作業など+
 ぎっくり腰にて自宅で煩悶
 一挙手一投足が真剣勝負…