• 「猫の手貸します」

「誤解を恐れずに言えば」
との前置きの後、
「親を甘やかせてしまったのかもしれません」。
先日、ある教員経験者の方から聞いた言葉だ。

その方が教員だった時、
不登校の子どもの事案があった。

ある親から
「先生が来て説得してくれれば、子どもは学校に行きます」
との連絡が入ったという。

当時、若く熱意のあった時分の教員経験者は、
親に「はい、わかりました」と快く返事をし、
説得に成功して見事にその子どもの登校に貢献した。
これを普通は「良い先生」「実力のある先生」という。

しかし、その教員経験者は、
その行為自体を「反省をしている」というのだ。

「私たち教員は、親がすることまで、
 でしゃばってやってきてしまった」。

親が本来することを、教員が担ってしまう。
これをずっと繰り返してきてしまった、
というのだ。

親には「それはあなたがやることですよ」
とヒトコト言う必要があったとのことである。

もちろんこの教員経験者の言葉は、
責任逃れからきているのもではないことは、
その人柄から分かる。
子どもと接することが本当に好きなのだ。

だから親の努力の下に解決できなければ、
即座にサポートをする覚悟が前提にあるに違いない。

教員が熱血漢であることは良いことだ。
子どもに熱意をもって接することも良い。
それが否定されているのではない。

公務員が親の役割に介入することが
果たしていいのかどうか、
そんなことがここでは問われている。

今の日本は確実に
親の資格が問われる社会となっている。
再生には、以上のような認識の必要性を痛感する。

行政に預けすぎてきた日本社会を垣間見る、
重たい言葉であった。

9月20日(木)

●決算委員会のサポート
●議会にて事務作業
など

9月21日(金)

●決算委員会のサポート
●議会にて事務作業
●大学院
●大学院生らと懇親
など

9月22日(土)

●防災士研修
●明大大学院欧州視察報告会
●明大大学院らとの懇親

9月23日(日)

●防災士研修
●会計士の卵たちとの懇親
●明大大学院学生らと教授宅にて懇親
など

9月24日(月)

●資料整理
など

9月25日(火)

●決算委員会のサポート
●議会にて事務作業
●空手道場
など