• 「猫の手貸します」

■■■視察を終えて…感想

約10日間の視察。密なスケジュールでありながら、一つ一つが深い印象に残った。昨年訪問したソウル(韓国)・ニューオリンズとニューヨーク(アメリカ)、今年5月の訪問した北京(中国)。そして今回のヨーロッパ3国。どの都市も個性があったが、ヨーロッパは大人の落ち着きと風格を垣間見る場面が多かった。

景観には圧倒された
ロンドン、ブリュッセル、アントワープ、オスロ、フログン。どの都市も、古い街並みを驚くほど大切に保存していた。ロンドンは新しいデザイン性のある建物を建てていたが、ほとんどの都市がタイムスリップしたかのような印象を覚えるほど、圧倒される光景が広がっていた。日本ではそもそも古い建物事態が点在しているだけだし、震災などの制約があるため、同様の街並みを作るということは現実的ではないだろう。むしろデザイン性や安全性の高い建物が増えていくというのが当面の現実的対応だろうか。

チャレンジ精神の高いヨーロッパ
政治的に、である。以前、北欧に住む日本人女性に「何でも挑戦してみようという考えの下、政策が決定される」と聞いたことがある。今回、交通政策について聞いたときにも同様の話だったから、おそらくはヨーロッパ全体にこうした雰囲気が漂っているのではないか。日本では、まず「失敗は絶対に許されない」雰囲気が漂う。政治家はそれを恐れ、思い切ったことを言わない。日本も先進国となり、「追いつけ」の計画経済から脱却するときが来たのではないか。「新たな創造のための挑戦」が受容されるよう、真摯な姿勢で説得力のある政治を展開する時期に来ているように思える。これは政治に携わる私自身が肝に銘じたい。

ヨーロッパの物価は高かった
ロンドンの地下鉄初乗り1000円。ノルウェーではマクドナルドで食事することは「贅沢な行為」だそうだ。ベルギーの食事も言うまでもなく高い(おいしいが)。イギリスはポンド、ベルギーはユーロ、ノルウェイはクローネ。それぞれ「高額」という印象だけが残った。特にイギリスがなぜユーロ圏に入らないのか、という話は印象に残る。価値の高いポンドをみすみす逃すことはできない、ということだった。日本の市町村合併においても、財政的に豊かな自治体は合併を嫌う傾向にある。これと似ているのかもしれない。

英語は「気合」だった
昨年、まったく英語ができずに打ちひしがれた。何しろ中学2年生の時から英語とは縁を切った間柄である。今年も英語圏を視察することから、事前に英会話の録音を、音楽を封印して常に聞くようにした。かといって、突然しゃべれるわけでもなく、特に話を聞くリスニングはまったくといっていいほど駄目だった。ただ、今回収穫だったのは、何とか片言の単語を並べるだけでもコミュニケーションは取れることを体感したこと。気合だ。最初から「駄目かもしれない」では絶対に駄目だ。勢いよく当たれば何とか成ってしまうように感じられた。この視察行程では、昨年のリベンジではないが、とにかく積極的に話しかけた。

自信となったのは、電池交換ができたこと。スーパーでICレコーダー用の電池を購入したが、後でよく見ると、「単三」電池だった。欲しかったのは「単四」。そこで、数時間後、同じスーパーに行き、レジの店員にレシートを持って「イクスキューズミー!」と話しかけた。気合である。片言の言葉で話をすると、すると応じてくれた。その店員は店長らしき人を呼び、2、3話をしたあと、小さいほうの電池に交換してくれたのである。

もちろんこうしたやり方だから、失敗談は事欠かない。ついつい「ユーアーナイスガイ」などと同性愛者のかける言葉のようなことを発してしまったこともある。また、バスにカバンを積む際に、運転手にこれらの荷物を積んでいいか、と聞く場面があった。その際、「バゲッジ」といわずに「ガーベッジ」と言ってしまったこともある。あ、これは「ゴミ」という意味だそうな。危うく視察一行の荷物を処分場送りにしてしまうところだった(ハハハハ…)。ちなみにイギリスでは「ラゲッジ」だそうな。そんなことでまだまだだが、しかし気合で何とかなってしまうという側面も体感できた。

日本の良さを再発見した
視察によって、何より日本という国、そして日本人の良質な面を再発見することになった。まずは接客の丁寧さ、相手に対しての最低限の礼儀のようなものがある。これが過剰になると息苦しさもあるのだが、適度であれば、社会の潤滑油の役割を果たす。また、決め細やかさや、食事の種類の多さ、おいしさなどなど、日本が抜きん出いている。トイレについて、詳しくは述べないが、ウォシュレットは、まずヨーロッパには存在しなかったですな。アメリカ生まれ日本育ちの秀作なのでしょう。日本には課題も多いが、いい国であるし、大切にしていきたい故郷なのである。