• 「猫の手貸します」

1月18日(木)

■午前
●資料整理

■午後
●無所属の会・会議

■夜
●お通夜への出席
ご近所の方がお亡くなりになった。

御歳98歳。
明治時代にお生まれになった農家のおばあさんである。
大往生だったそうだ。

約100年といえば「一世紀」!
関東大震災、昭和恐慌、第2次世界大戦、
戦後の貧しい時代、高度経済成長、そしてバブル…。
このおばあさんの目には、激動のこの一世紀は、
どんな風に映ったのだろう。

私の住む大谷口の一画は、
古き農業タウンがそのまま切り取って
残されているような地域だ。

おばあさんは、
そのど真ん中で農家として一生を終えた。
どんな人であれ、
どんなところに生まれたのであれ、
その人にはその人の一生があったのだなあ、と思う。

名も無き人だったが、
様々な人に影響を与えたに違いない。
不肖の私めは、
そのおばあさんの3分の1の人生を過ぎたばかりである。
その渦中で、
フラフラともがいている自分がお焼香を挙げていた。
合掌。

ところで――。
この場で、自治会の要職につく関係者と隣りあわせとなった。
いろいろな話の流れの中で、
若手の継承者がいない、という話に。

「月に一度、いや年に一回でいいから
 会社を休んで防犯活動をやってくれればなあ」
この人はぽつりと言った。

議員となる前から自治会活動をしていたわけではなく、
「票のために自治会を利用している」
という誤解を招くのも本意ではないため、
私も自治会活動に参加していない
張本人であることを認めなければならない。

しかしこの人が発した言葉には
悲哀と実感がこもっていた。
とにかく働く世代に自治会を
担う人材がいないのだそうだ。

最近「ワークライフバランス」という言葉が、
頻繁に使用されるようになってきた。

家庭や地域で使う時間を確保する、
そのために仕事の時間を削減する。
この両者のバランスを考えていこう、
という一種の運動的キーワードなのだが、
時代はそれを求めているのだと思う。

家庭のひずみは様々なところで起きている。
地域は人の手がいくらあっても足りない。
税金を糧に地域や家庭の肩代わりをしてきた行政も、
昨今の財政難で充分に分配ができない。

今ほど、このキーワードが重要な時期はないのである。