• 「猫の手貸します」

11月16-17日、さいたま市議会に設置された
「市民生活・安全対策特別委員会」の視察。

当委員会は、
・危機管理
・防犯
・防災
をテーマとして取り扱う。

今回の視察先は、延岡市。
テーマは「防災」である。
昨年の台風(14号)と今年の竜巻で
被害を受けた延岡市。
その被害状況とその対応、課題などを調査した。

主な視察内容は、
①行政の説明
②住民からのヒアリング(別府公民館/古川公民館)
③被災時の議会の動き
④現地視察(台風・竜巻)
⑤激甚災害事業についての説明と現地視察

対象の災害は、
①2005年(平成17年)台風14号…1名死亡
②2006年(平成18年)竜巻被害…3名死亡

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【災害の概要】
この1年の間に2つの大きな災害が延岡市を襲った。

●2005年(平成17年)台風14号
台風の影響によって、
五ヶ瀬川の堤防の越水による
周辺地域への浸水被害が発生した。

死者1名、床上浸水1503世帯。
川の上流で降った豪雨は、
下流で堤防を乗り越えて
周辺地域に浸水被害をもたらした。
ひどい例では、2階部分まですべて水で覆われ、
屋根しか見えないほどの浸水の例もあった。

ボート救出は「136名」。
家の周囲を水で囲まれてしまったために取り残され、
自力で移動できなくなった人の数である。
避難指示(警察の強制力がある)が
出ているのに避難しなかった人たちが
これほどいたのは驚きだった。

停電は36時間。
停電により、
各種の情報伝達(行政→住民)が
上手くいかなくなってしまった。

●2006年(平成18年)竜巻被害
つい先日の北海道の被害から2ヶ月前、
延岡市でも竜巻被害は起きていた。
この際には、3人の命が奪われた。

竜巻の発生は、台風13号の発生への
対応の準備をしていた矢先であった。

海から陸へ上がり、7.5キロにわたり、
周囲を破壊していった。
2ヶ月たち、現在はだいぶ修復が進んだというが、
まだ工事をしている場所も見受けられた。

写真で見る限り、鉄道は横倒しとなり、
車はいとも簡単に吹き飛ばされ、屋根は飛ばされ、
ガラスは粉々となり、
木材はミサイルとなって突き刺さっている。
すさまじい破壊力は、
無力感すら感じるものだった。

     ★

①行政の説明
まず市役所へ。
防災担当職員、防災氏推進員の2名に話を聞いた。
2つの災害の被害状況、そこから得た教訓、
現在の取り組み、防犯推進員の採用などについて聞いた。

防災担当職員からは、
災害の深刻さ、情報の伝達の困難さ、
災害からの教訓を聞いた。

防犯推進員の話は、
単刀直入で大変ためになった。
何より具体的で、明快であった。
この推進員の設置が地域の防災組織の設置や
運営の活性化に役立ているようだ。

この推進員は元自衛官である。
自衛隊員の時代に得た災害時の対応のノウハウを
行政職員や地元住民が吸収する。
大変有意義なことだ。

防災分野において、
退職自衛官を任用することも
検討しても良いのではないか。

②住民からのヒアリング(別府公民館/古川公民館)
今回の視察デ特筆すべきは、
被災した住民の方から話を聞くことができた点だ。
住民という立場でありながら、
わかりやすく、明快な話をしていた。
時折、説明者が同行していた
延岡職員に対する不満を述べる場面もあり、
緊張感に満ちた訪問だった。

●別府公民館
別府(ビュウ)町という地域があり、
その拠点である公民館を訪問。
地元住民の方々が対応してくださり、
今年の竜巻被害の状況をお伝えいただいた。

竜巻の特徴は、通り道以外は、
まったくと言っていいほど被害が無いこと。
住民の方々も何が起きたのか、
すぐに理解できた人は多くは無かった。

情報伝達も、停電で無線が切れてしまい、
上手くいかなかった点が今後への教訓だと言う。
この災害後、
携帯電話の番号を各責任者で共有したと言う。

●古川公民館
ここの地域は、昨年の台風時に
最も大きな浸水被害を受けたところである。

話を聞いた公民館は高台にあり、
被害は及ばなかったと言うが、
そこに至るまでの移動の車中で
何軒もの「新しい家」を見た。
これらは被害を受けた住宅のようだ。

「5軒の住民が外へ出て行ってしまった」という。
浸水時の状況を写真で見ると、
まるでニューオリンズの被害状況を髣髴とさせる。
あまり東京方面には聞こえてこなかったが、
ボートで避難した人が多数出たという大変な被害だった。

7月にポンプ場ができたのが、
住民の安心感を呼び、
9月の被災時の油断につながったと言う。

被災後のゴミ問題は、興味深い。
災害は遭って終わりではない。
その後の復旧が必要となる。
ここでは大量のゴミが出た。
このゴミを、住民が焼却場に持ち込んだとき、
当初行政は「分別してください」と言っていたそうだ。
住民は怒り、「そんな場合ではない!」
と緊急的なごみ処理を認めさせた。

ボランティアの受け入れも容易ではなかった。
食事は自分で用意するのか、
それとも地元住民が用意するのか。
そのあたりからボタンの欠け違いがあった。
ほぼ100%がしない在住者であり、
宿泊の心配は無かった。

③被災時の議会の動き
バスの車中での話だったが、
議会がどうだったのか、
各議員がどのように動いたのか、
という説明があった。

当初は、議会全体として動いたというよりは、
議員各位が動いたという状況だろう。
行政側の災害対策本部と
会派代表とを議会事務局職員がつないだ。

やがては議長・副議長が被災地を確認。
その翌日には委員会による視察が行なわれたという。

④現地視察(台風・竜巻)
いまだブルーのビニールシートをかけている建物もある。
新しい家は、災害の影響により
建て(建替え)られたものだろう。
その他様々な現場を視察した。

⑤激甚災害事業についての説明と現地視察
昨年9月の台風の被害は、
国土交通省により激甚特定事業(激特)に指定され、
昨年から工事がスタートしている。5ヵ年。

・堤防を高く
・川底を低く
・橋の架け替え
などが主な事業である。

越水した五ヶ瀬川などの川では、
工事車両が入るなど激甚対策事業が行なわれていた

     ★

▼今回の視察で得たもの
①上流域の雨量に注目をする。
②退職自衛官を採用し、住民への防災知識の普及に役立てる。
③地域住民は普段の付き合いがいざと言うときにものをいう。
④住民に世代間のズレが生じている(どの地域も同じ)。
⑤情報伝達には多様な回路が必要。
⑥住民の中には避難指示が出ても移動しない者もいる。
⑦被災後の大量のゴミの収集は、
 住民のニーズであり、行政の課題でもある。
⑧ボランティアの受け入れは、
 食事の面などで意思の疎通が取れないケースもあった。
⑨行政に設置される災害対策本部と、
 各議員との情報伝達にルールは必要

など。

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今回の視察は、大変意義あるものだった。
深く様々なことを得ることができた。

地域住民に直接話を聞く機会を
持つことができたのは画期的だ。
テーマもさいたま市に直接かかわりのあることである。
視察は今後もこうありたいものだ。

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