• 「猫の手貸します」

若手市議の会(埼玉)で企画した韓国視察。
3泊4日の盛りだくさんの内容だった。
私にとっては3度目の海外である。

韓国は隣の国であり、
日本と歴史的にも深い関係のある国である。
また、個人的にも韓国料理など好む文化も多い。
日韓の関係が様々に語られている昨今、
今回の視察は、強い関心をもって参加した。
以下、主な内容を記したい。

今回の視察費用は、
「市政還元費」を使用させていただいた。
視察内容と明細について、詳しく報告する。
なお、食事等、自費による
私的な部分については記していないが、
それらは節度を持って
行なったことを記しておきたい。

     ★

<自宅〜空港>
出発全日の24日、用事で24時ごろ帰宅。
自宅での用事を済ませて布団にもぐり込んだのが2時。
4時に目覚め、4時58分浦和発の電車で羽田に向かった。
6時30分より前に国際線ターミナルに着。
8時20分発の韓国行きの便に搭乗した。

<機内にて>
私は希代の飛行機嫌いである。
できれば乗らないに越したことはないが、
船で行くわけにもいかないし覚悟を決める
寝不足が功を奏したのか、
ウトウトと眠りつつの約2時間のフライトで、
無事に韓国入り。

<韓国入り>
機内で印象に残ったのは、
「韓国では空港内での撮影は禁止されています」
とのアナウンス。
日本では問題のないことも、
他国では問題とされる。
一気に緊張感と、そして期待感に包まれた。
入国手続きはほとんど問題なく終了。

<ガイドと合流>
空港で現地ガイドと合流。
基本的にはフリープランなので、
ガイドは同行しないが、
4日間の打ち合わせなどを兼ねて、
空港からホテルまでご一緒する。
窓からは韓国の景色が見える。
新しいマンションが多いのが印象に残った。

<宿泊先の場所>
ホテルはプレジデントホテル。
市役所のそばである。
その向かいにある広場は、
2002年のワールドカップの韓国チーム躍進の時、
赤いシャツの韓国の人たちが集まり、
一面が赤く染まった場所だ。
実際見てみるとそれほど大きくない。
私たちが滞在中、
夜中に芝の張替えが行なわれ、
夜見た光景と朝の緑の光景が異なっていたのが印象に残る。

プレジデントホテル

<ホテルの特徴>
ホテルの部屋は空間が広かった。
フロントには完全に日本語が通じる。
部屋では歯ブラシなどすべて有料。
寝巻きがないのに驚く。
部屋は29階で見晴らしがいい。
遠くに山も見える。

<清渓川との対面>
●機内の朝食を食べたこともあり昼食は食べず、
午後、清渓川のバスツアーがあるとのことで、
そちらに歩いて向かった。
●その途中で実際の清渓川の始点へ。
今回の視察の目玉の一つがこの川である。
清渓川は、1960年代に作られた高速道路を取り払い、
大都市部に復活させた川である。
●2003年選挙で当選したソウル市長の公約は、
2005年には実現。
周辺にも大きな影響を与え、
住民の憩いの場としてや観光資源として、
大きな役割を果たしている。
●日曜日ということもあるのか、
多くの人でにぎわっている。
地元の子どもたち、カップル、
そして私たちのような観光客…。
●川は大規模公共事業ではあるが、
デザインも独特で、ところどころに工夫がなされている。
この日の強い日差しも手伝って
大都市の中心部における川の意義を、
すぐさま感じることができた。

<清渓川バスツアー>
このツアーの主催は「韓国観光公社」。
官公庁のようだ。
2階建ての赤いバスで清渓川の周辺を1時間ほどかけて回る。
詳しくは「清渓川編」へ。

<地下鉄にてソウル駅へ>
●この日はこの後、
ソウル駅まで足を運ぶ。
地下鉄に乗り、ハングル文字と格闘しながらソウル駅へ。
地下鉄は日本のよりも幅が広く、
駅にはところどころに危機管理の備えがおいてあった。
降水確率40%の予想を見事に裏切り、
太陽がサンサンと照っていた。
●駅で一瞬、同行者とはぐれた。
携帯電話を持っていたので、
連絡を取ることができたが、
異郷の地にいることを強く認識させられた数分間だった。
●公共の場などで使用される言葉は、
当然ハングル文字が多く、
その次に英語、中国語と続く。
韓国人の使用頻度や、
それぞれの国との関係で
文字の使用の順序が決まっているという。
日本語はこの次に来ている。
飲食店では、日本の文字を目にすることが多く、
日本語での会話が成立するところも少なくなかった。