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■『あの戦争から何を学ぶのか』
■保阪正康
■講談社文庫

昨日夜、歯医者の治療を終え、
入った書店で購入したのが本書である。

第二次大戦時の日本を見る上で、
著者の記述には説得力がある。

それは先入観を前提とした、
「自衛戦争」的考えや、
「対中国侵略戦争」的考えの、
どちらからも距離をとり、
あくまで正確に事実を積み重ねる姿勢に
あるのではないかと考えている。

敗戦から東京裁判に至るまでの
日本国内を検証した
「第4章 自ら『責任』を
 問えなかった東京裁判」
では、
GHQによる宣伝活動が国内を席巻する中、
吉田内閣において
「大東亜戦争調査会」を立ち上げ、
「あの戦争」における日本について、
自ら責任を明確化しようとしていた
経緯が記されている。

結果的に占領下の様々な要因で
この調査会は廃止となったが、
本土決戦を主張していた勢力でも、
社会主義革命を意図する勢力でもない立場で、
日本人の手で自ら責任を問うこと
を模索していた事実が記されていた。

この流れに関わっていた
大蔵省出身の青木得三は、
調査会の事務局長であった。

この青木が、調査会廃止後に資料を集め、
『太平洋戦争前史』を執筆したが、
そこには
「本書が幸いにして人類永遠の平和と
 戦争発生の防禦とに役立つならば、
 それは又東京裁判の功績である」

と記されていると言う。

このような引用をした上で著者は、

「東京裁判の史観は功罪を含めて
 戦後日本の言語空間を支配した。
 それは現在も続いていて、
 日本国民が自前の太平洋戦争史観を
 もちえなかったことが、
 教科書論争といったような形で
 折にふれ噴出する」

「東京裁判の史観はGHQに
 一方的に押し付けられたとするだけでは
 割り切れないものがのこる。 
 そこには天皇免責を企図する日本側の動き、
 復活した親英米派の軍部に対する怨念、
 あまりにも従順に占領を受容した
 国民の意識といった問題が隠蔽されている」

「『東京裁判史観』なるものは
 いわば日米合作によるものだった。
 現在に至るもこの史観の呪縛を
 克服できない最大の原因は
 そこにあるのではないか。
 その内省から出発しなければ、
 東京裁判の史観を超える史観は
 永遠に持ちえないのではないか」

と述べている。

また、元宮廷官僚の牧野伸顕に届けられた
「戦争責任者裁判に関する緊急勅令案」
という法案があったという。

この法案の条文から、
「東京裁判の開廷(昭和21年5月3日)前に、
 日本政府は、自身の手によって
 戦争責任者を裁こうとしていた」

意思が読み取れるという。

また、この条文の第一条・第二条から、
起草者・同調者のすさまじい怒りが
浮かび上がってくる、とし、
「逆説的には敗戦直後の軍事裁判とは
 所詮は復讐の儀式でしかない
 という事実を裏づけている」

と述べている。

著者は、刑罰が骨抜きになるにせよ、
共産党に乗ぜられるにせよ、
この条文に基づいて自主戦犯裁判が
「実行されるべきだった」と言う。

「そうすれば、戦後社会で『東京裁判史観』
 という語は実体の伴った意味を
 含んで使えたはずだった」

と述べている。

  ★  ★  ★

著者の著作は他にも多数あるが、
いずれも「あの戦争」を考える上で、
貴重な示唆を与えてくれる。
ちなみに少し前に
ベストセラーとなった新潮選書の
『あの戦争は何だったのか
 ―大人のための歴史教科書』
もすでに読んでいる。

私たち日本人は正確な事実を基にした
歴史認識を持たねばならない。
冷戦後、この点がより重要になっているのは、
現在の国際関係を見れば明らかである。