■『マンスフィールド 20世紀の証言』
■マイク・マンスフィールド著
■日本経済新聞社
「日本人はマンスフィールドのような人を、
もっと評価しなくてはならない」
明治大学大学院の青山やすし教授は言う。
さっそく、謙虚な政治家の書を読んでみた。
この本は、日本経済新聞の「私の履歴書」欄に
掲載された文章で構成されている。
★ ★ ★
マンスフィールドは、すでに他界しているが、
自身の伝記を書かれることを拒み続けたと言う。
自叙伝や回顧録を書こうとする人は決して
間違いを書いてはいけない。
議員時代から重要な会議や打ち合わせのメモさえ
とって来なかった自分にその資格はない。
うそのない本にするためには、
ある物語の登場人物として描かれる人物は
決してその物語の著者になるべきではなく、
三十年後、五十年後、百年後の
歴史家に任せたほうがいい」
この考えから、マンスフィールドの人柄が分かる。
そんなことでこの本は、
「妻と自分の思い出話だ」というコンセプトの中、
史実の確認できるものだけが記されている。
しかし、日米の太平洋戦争、
キューバ危機やべトナム戦争、
日米、米中の交流など、
戦後史の重要局面がマンスフィールドの見た
側面から語られているのは興味深い。
ケネディ、ジョンソン、ニクソン、
カーター、レーガン、
ら歴代の大統領と直接の交流を持ち、
それぞれの意思決定に
少なくない影響を与えたようだ。
マンスフィールドは、その政治家人生で
「現場主義」と「不介入主義」を貫いた。
現場に足を運び、確実な調査・分析を行なう。
また、他国への米国の介入を行なわないよう促す。
ベトナム戦争には終始一貫して反対した。
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マンスフィールドは14歳で海軍に入隊。
その後炭鉱夫として働く。
24歳のときに妻モリーンと知り合う。
モリーンは高校教師で、
マンスフィールドに教育の大切さを説く。
彼は、中学2年しか修了していない。
高校の履修証明を得、
大学を卒業した時には30歳となっていた。
大学講師をしながら、政治家を目指す。
最初の選挙での落選後、
2度目で民主党の下院議員に当選。
途中、上院議員に転向し、
相対する共和党からも一目置かれ、
ケネディやニクソンなどと交流を深めた。
34年間の議員生活を後にし、
引退しようと思った矢先に、
駐日大使の任を受ける。
その後しばらくは日米通商などに従事する。
98歳で他界した時、
共和党・民主党問わず多くの要人が、
その葬儀に訪れたと言う。
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本著を通じて、
この偉大な政治家の存在を知ったことは
大変に有意義であった。