• 「猫の手貸します」

本日午後、兼ねてから熱望していた
司馬遼太郎記念館を訪問した。

■交通
近鉄線の八戸ノ里駅を降り、
徒歩7分のところにある。

大阪から見て奈良方面。

■自宅から記念館へ

門を入ると、
まずは自宅の横を通る。
庭には故人が大切にしていた草木が生い茂る。

故人の書斎は、
執筆時のそのままで保存されていた。

さらに歩くと、記念館。
菜の花の置かれた
コンクリートの壁を潜り抜けると入り口。

記念館は、故・司馬遼太郎の
自宅の隣に建設されている。
設計は安藤忠雄氏。
運営は司馬遼太郎記念財団。

館内には、故人の著作、所蔵の本など
相当数の本が展示されている。

また、館内にはホールがあり、
故人が生前語った言葉を映像化し、
メッセージとして伝えていた。

戦争時、所属していた軍の上司による
「日本国民を轢いてゆけ」という言葉。
日本の歴史におけるリーダーは、
こうした人間ばかりだったのか、
との思いを抱いたことが、
歴史小説を書くことに
つながったとする話は興味深かった。

巡回コースの終わりにカフェもある。
故人の著作も販売されている。

●館内の全体的な印象は至ってシンプル。
「友の会」の人たちの
文化的ネットワークを広げていく
拠点としての位置づけもあるようだ。

●菜の花が、近所の道路も含めて、
所々に置いてあった。

これは故人の命日である菜の花忌(2月12日)
にちなんだものである。

こうした準民間の文化施設と
地域の交流についても、
興味深いものを感じた。

今後は「官から民」の時代であり、
行政を介在せずに、
民民で関係を築いていく、
という一例に、
この記念館は当たるのかもしれない。

■私と故・司馬遼太郎との係わり

私自身も10代後半から20代中盤にかけて、
かなりの時間を割いて司馬小説等を読んだ。
特に『竜馬がゆく』には強烈な衝撃を受けた。

幕末の志士の情熱的な生き方を描く文章に、
当時、武道をやっていた私は
心を何度も奮わされ励まされた。

実は司馬遼太郎に、
手紙の返答をもらったことがある。
もちろん直筆である。

日清戦争時、広島に日本の軍事基地がおかれた。
広島は私の父の出身地であり、第2に故郷。
「なぜ広島に軍事基地が置かれたのでしょうか」
との手紙を出したのは十代の終わりだった。

数日後、「よい港湾だったからです」と、
返事が届いた。
海軍の軍備が主流の時代、
瀬戸内海が自然の要塞として適していた、
とのことであった。

尊敬する作家からの思わぬ返答に、
今を持って感激を忘れていない。

   ★  ★  ★

死して十年。
私たちの歴史の先達たちの
見事な生き方を描いた作品や、
多数の歴史上の人物の生き様を見てきた
司馬のメッセージに、
改めて目を通したいと考えている。

司馬遼太郎記念館HP
http://www.shibazaidan.or.jp/

※個人的趣向が強いので、
 行き:梅田〜八戸ノ里、
 帰り:小坂〜新大阪
 の交通費と入館料は自費で負担。