• 変わらず ブレず 前へ 未来へ。

本日午後、聖学院ポリシーカレッジ公開討論
「行政のアウトソーイングを考える」に参加。

これまで5回の講座が開催されたが、
最終回となる今回は受講生の外にも開く公開講座。

用事で講演を聞き逃し、
パネルディスカッションから聞いた。

パネリストは、
福嶋浩彦(我孫子市長)
光多長温(鳥取大教授)
北谷孝和(経済産業省職員)
佐々木信夫(聖学大客員教授)=コーディネーター
(敬称略)

「新しい公共」についてを柱に、
事例や考え方が示された。
以下、その中から主なものを抜粋。

◆新しい公共における行政の役割は、
民間が公共サービスを担う際の「下支え」という意見。
その際、民間のサービスをどう評価していくのかが課題。

また、現在の行政は機関委任事務時代から脱却できていない、
との意見。

新しい公共をにらんで、
今後の行政は
・企画
・コーディネート
・民間の選定
・モニタリング
の役割に徹するべきという。

市民の課題も話された。
市民の2つの顔として、
・行政サービスの受け手
・納税者
があるが、日本では前者が強いのではないか。
イギリスではマグなかる他の文化が根付き、
市民は納税者として監視している、とのこと。

議会は、自らの中に市民参加を取り入れ、
議会の中で市民立法の試みをすべき
との貴重な意見もあった。

また、議会は、行政の効率化への取り組みもまた、
積極的に行なうべき、との意見が出された。

職員の意識改革にも触れられたが、
これからは求められえる人の質が異なるとし、
「場を与えられれば、変わっていく」という意見も出た。

パネルディスカッションの抜粋は以上である。

◆「新しい公共」は「これまでの公共」に対置されるもの。
これまでの公共は「=行政(官)」であった。
これを「行政と民間」が役割分担して担っていく
という構図で描かれている。

私はこれを否定するつもりはなく、
「行政=公共」でやってきたこれまでの考え方もまた、
否定するつもりもない。

明治以降、もしくは戦後、
たしかに行政が公共サービスを送り出してきた。

しかし民間が成長してきたことに加え、
ある時点で社会を支える構造が変化し、
それに伴ってそれを支える仕組みもまた
構造改革しなければならない事態となったのである。

私は新しい公共への移行について粛々と対応していけばいい、
と考えている。

今回受講したポリシーカレッジでは、
この新しい公共に関する事項を
総括的に提供していただいた。

基本的な考え方に始まり、
その手法の指定管理者、PFI、PPPなどの話を聞いた。

現時点で私はどの手法を導入したらいい、
と言うことはできない。
どれもが現在の公共サービスの担い手を
行政から民間にスムーズに変える保証はないからである。

これらは選択肢であり、
すぐさま流行に飛びつくがごとく、
あせる必要はないと考えている。

まず何より、新しい公共における行政の役割は何か、
といった基本的なことを、
「住民自治」という観点も合わせて、
市民を巻き込んだ全庁的な検討や整理が必要だと考えている。
公民館のあり方の検討などは、いい機会である。

こうした準備なくして指定管理者に移行しても、
身のあるものとなるようには思えない。
既得権益の温存、といったレッテルすら貼られかねない。

検討の段階を終えたならば、
新しい試みに挑戦し、
失敗をしながら経験をつんでいくこと。
これはパネルディスカッションで
福嶋市長が語っていたが、
きっと将来生きてくるだろう。

新しい公共において生命線は、
行政と、市民はじめ「民」との
「信頼関係の構築」であり、
これをもってはじめて
協働というものが進んでいくのだと思う。

信頼関係を構築するために、
情報の共有、説明責任の徹底が欠かせない。
先日の指定管理者に関する一般質問は、
このような観点から行なったものである。

また議会については、
まったく意見の通りで、
何より地方分権時代である。
地方議会の決定が大きな責任を負う時代だ。

議会に市民参加をしていかない限り、
より市民との距離が離れるばかりか、
市民にとっては行政のほうに、より一層の信頼が高まり、
相対的に議会の立場か弱くなっていくように感じている。
ここでいう市民とは、特定の支持者ではない。
「全体の市民」である。
議員個々は、全体にまで視野を広める必要がある。

ああ、この文章、ずいぶん長くなってしまった…。