• 「猫の手貸します」

今、日本の社会は岐路に立たされている。
ところが舵取り役の政治は信用失墜して久しい。
二つの政権を担当する大政党は、もはや期待できない。
このままでは日本は大変なことになる。
何か手を打たねば…
ここまでは、誰もが認識すべきところだ。
では。
この期に及んで、
誰かに期待する自分がいないだろうか。
橋下さんに諸手を挙げている自分がいないだろうか。
もちろん、誰かに期待するのは
間違っていることではない。
しかし。
それが他者への依存心にまでいくと、
話は違ってくる。
政治家は、
えてしてパフォーマンスに偏りがちになり、
選挙において過大な期待を与えるものだ。
そこに一喜一憂するだけで、
実態は変わらない。
そんなことをこれまで繰り返してきた。
誰も担い手がなく、
各種の課題が解決に向かわず、
挙げ句の果てには、日本という家が傾いてしまう。
ここで考えたいのは、
常に当事者として自分を位置付ける、ということ。
これは私たちが評論家、傍観者であることを辞める、
ということも同時に意味している。
政治に問題がある。
ではその問題を解決するために、
自分は何をしてきたのか。
何をすべきなのか。
誰かが何かをしてくれるのではない。
自分が何をするか、である。
選挙で一票を行使する。
大切なことだ。
やはり、投票に足を運ばずして、
政治の悪口を語るべからずだろう。
さらに。
私たちが保有している権利は、
それだけではない。
自分が選ばれる立場、
つまりは政治家になる可能性すら秘めている。
国籍を保有した一定年齢以上の者、
という条件付きながら、
「被選挙権」をも有しているのだ。
政治を変えるべきならば、
ここも選択肢の一つとして、
熟考していくべきだろう。
今の政治こそ新規参入が必要な分野はないだろう。
過度な批判やできない言い訳よりも、
自ら引き受ける気概をもちたいものだ。
できないなら自分は主体的に何をするべきか、
考え抜きたい。
さて。
世の中、見渡すと、
課題は無数に転がっている。
それも身近なところに。
児童虐待、農家の後継者不足、過疎化、自然環境の破壊…
見過ごしがちなものごとが、
当事者の意識をもつと、
とたんに見えてくるものだ。
その課題の解決を、
私たちは、これまで過度に政治に期待し、
政治は行政を通じて行おうとしてきた。
しかし、もはや周知のとおり、
政治や行政では、いかんとも解決しがたい課題も少なくない。
もちろん政治のなすべきことはまだまだあるから、
これはしっかりやっていかねばならない。
私自身も責任逃れをするつもりは毛頭ない。
しかし、政治は万能ではない。
そして、行政は打ち出の小槌ではない、のである。
政治・行政に依存せず、
放置されている課題に向き合い、
自ら汗を流し行動することで解決を試みる
「民」の立場の人々がいる。
下手をすると、「余計なことをしている」と
人に陰口をたたかれる場合すらある。
しかし、人の目にどう映るにしても、
目の前に課題があれば、
その解決に自らの情熱を注ぎこむ生き方に、
私は共感するのだ。
傍観者や評論家にはなりたくない。
現実の課題に当事者として向き合い、
それを解決しようと汗を流す。
そんな姿勢の人々の集合体になれば、
我が国は前途洋洋のはずである。
私は議員という立場に立たせていただいているが、
その前に一人の人間である。
何事においても当事者意識を忘れず生きていきたいと思う。
人生41年目を迎えた朝、
枯れ木又に向かう直前の自宅にて