• 変わらず ブレず 前へ 未来へ。

3月末に会派視察で九州の都市を訪問したが、
どれもが示唆に富んだものであった。
当ブログで予定している報告がなかなかできないので、
政務調査費の報告書をそのまま掲載したい。
「門司港レトロ観光まちづくりプラン」視察報告を、
下記に掲載する。
今後体系的に進められるべき岩槻のまちづくりなどは、
この門司港の取り組みが大いに参考となるだろう。
北九州市HP
http://www.city.kitakyushu.lg.jp/san-kei/file_0459.html
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≪門司港レトロ観光まちづくりプラン≫
■日時:3月28日(水) 午前
■場所:門司港レトロ展望台
■目的:
観光まちづくりで実績のある門司港の歴史的経緯や現状、将来展望について把握することで、観光まちづくりを進めているさいたま市に還元することを目的とする。
■内容:
●北九州市産業経済局観光部門司港レトロ課長・長坂弘彰氏に話を聞く。場所は当地区で一番高い場所にあり、辺りが一望できる「展望台」で行われた。
●門司港の街の歴史的経緯についてだが、現在観光地の門司港を過去もずっとこのままであったと考えるのは間違いである。明治時代から終戦まで、日本でも有数の港であり経済の牽引役で、経済的に栄えた大都市のひとつであったのだ。まだ鉄道が普及していない時期は船運が主であった。明治時代、三大港と言われたのは、横浜・神戸とこの門司港であった。北九州には筑豊炭田と八幡製鉄所がある。ここで造られた鉄が建物の鉄骨になったり、線路となったのである。つまり、門司港は当時の周辺の主要産業の集積地であり貿易港で、日本で造られた線路の出発点であった。だから港周辺には、当時の大企業や官庁が造った立派な建築物が林立していた。大正時代には洋館が並び「一町ロンドン通り」と呼ばれた場所もある。ところが鉄道路線や道路の普及などにより、交通の流れは一変。終戦あたりから衰退の一途をたどった。
●この衰退は「歴史的建築物の解体の危機」「国鉄民営化に伴うJR九州本社中枢の福岡市移転」といった事態に危機感を募らせた北九州市は、国の財政支援「ふるさとづくり特別対策事業」の創設を踏まえ、計画を策定。歴史、自然、文化の融合した「都市型観光拠点」の整備や活性化を図るべく再生に乗り出した。
●門司港レトロ第1期事業は昭和63年度から平成6年度まで展開された。歴史的建築物の保存、ウォーターフロントや跳ね橋の整備などハードに重点を置いた事業が展開された。これにより観光客は25万人(平成6年)から107万人(平成7年)となった。また知名度が向上し、たびたびマスコミに取り上げられるようになった。「滞在時間が短い」「飲食施設や駐車場、トイレの不足」など、この時の課題は次の計画に引き継がれることとなった。
●門司港レトロ第2期事業は、第1期の成果や課題を受けて、回遊性の向上、滞在時間の長期化、商店街の活性化、民間投資の促進などを念頭に置き、平成9年度から19年度まで展開された。ここでの成果は、観光客数が107万人(平成7年)から221万人(平成22年)、うち宿泊客が13万人(7年)から29万人(22年)という数字から明確に読み取ることができる。最も注目するべき観光消費額は、62億円(7年)から126億円(22年)、雇用者数は30人(7年)から703人(22年)と飛躍的な伸びを記録している。さらなる成果は行政が主導するのではない、民間活力や住民の主体的な行動が芽生えた点である。門司港ホテルの建設をはじめ、各企業や住民により組織された「門司港レトロ倶楽部」の組織化、実際のソフト事業の展開など。
●以上の経緯でハード、ソフトの事業が展開されてきたが、今後を見据え、より魅力を増すための「観光まちづくりプラン」が平成20年から約10年の計画で進められている。観光客を50%アップすることや居住人口を10%アップすることなどが目標として設定され、引き続き建築物の保存などが進められている。
■成果・感想:
●この地域に足を踏み入れ、さっそく「レトロ」の空気を感じた。駅の造り、外に出た景観。「レトロ」というキーワードがこの地域の特性を表した言葉なのだろう。まずまちづくりはその地域の特性を正確に把握することから始まるわけで、それは的確だったのだろう。
●早朝は人影もなく、出勤時間はまばらだった人の数が、日中になると人の姿をたくさん見るにつけ、観光政策を進めている成果を実感した。話を着た長坂課長は、この地域のまちづくりに立ち上げの時から携わってきた生き証人であり、深い話を聞くことができた。中でも、「ハード整備はソフトを念頭に行われてきた」「精緻に計画を立てても将来は分からないのだから常に見直していくことが必要」という言葉が印象に残る。
●前者は、いささか目に見えるものだけを念頭に進められる、あらゆる事業に共通するが、特に観光については、そこに来る観光客やそれをサポートする受け入れ側の行政・起業・住民の動きなどを想像し、それを念頭にハード整備を組み立てるだけの企画力が必要とされるのだろう。立派な建造物に人の姿がなく閑散とした空間は少なくない。さいたま市での教訓として大切な視点であった。
●後者は、計画を立てることに目的が偏りがちの行政において重要な視点である。常に成果を見ながら計画は見直していけばいい。大切なのは成果である。観光政策では、「観光客数」「観光消費額」「雇用人口」などが主な成果指標となろう。こうした数値を見ながら、歩む方向を常に見直していく。こんな観光政策に臨む姿勢が大切だろう。
●視察の終わりに地域の名所の一つ「地ビール工房」に案内され、そのオーナーと懇談をした。15年かかりようやく自信をもって販売できるようになったという自慢の地ビールは、九州では唯一のもので、日本のトップの賞を受賞するほどのものだ。いつ廃業してもおかしくないほど厳しい経営状態でも妥協しない姿勢で続けてきたことが実ったものだ。そのオーナーが口にしたのは、「地ビールはその土地で飲むもの」という言葉であった。つまり門司港という土地でこのビールを創る、という誇りをもち合わせていた。こうした民間の志ある人たちにより、門司港のまちづくりが進められているのだと確信した。課長はこの地ビール工房の社長たちのような人がまちちづくりを担っている、ということを無言で示したのだろう。特に観光は、行政主導ではうまくいかないのであり、大切なのは、それぞれの主体がそれぞれの役割を的確に果たしていくことである。このなかで行政がすべき役割は、そうした地域の資源ともいうべき人材の発掘や、その人たちが自らの力で活躍できる環境を整えることなのだろう。
●門司港まちづくりは、衰退の危機感から出発し、大胆な投資、建造物や人材など地域の資源を活かした形で進められているオーケストラのようなもの。こうした深い相互のつながりは、なかなか本やインター年とで得ることはできない。事前の調査ではわからなかった点である。現地に足を運ぶ大切さを強く実感した。これをさいたま市に大いに還元したいものだ。