記者会見から「産経新聞」だけを排除する、
と民主党の前原政調会長が通告した、との報道を見た。
現時点では、あくまで報道によるもので、
正確な事実は把握しきれていない段階だが、
各種の報道を前提として、私は以下のように考えた。
前原議員は、
政治家として大切なものが欠落している、
と言わざるを得ない。
記者クラブ制度には、様々な議論があるものの、
国民は現在の政権党の政策責任者の考えを、
記者会見における報道を通じ、把握している。
この機会を一部制限する、ということである。
逆説的にいえば、
自らの都合のいい報道機関だけに
自分の考えを伝える、ということになる。
今回の排除の背景。
前原議員に対し、産経新聞が「言うだけ番長」
という揶揄をしたことに起因する反応のようだ。
私はこの言葉、言えて妙だと思った。
前原議員を表すのにこれ以上の言葉はない、と思った。
まさに民主党の重責を担ってきた前原議員の行動は、
そう言われても仕方のないものだと受け止めている。
古くは永田メール問題に始まり、
最近で決定的なのは、八ッ場ダム問題。
根拠のないアドバルーンを、党のコンセンサスを得ない段階で、
かなりの主観を取り入れて国民に対して打ち上げる。
しかし、それが党内の合意すら得られないまま、結局成し遂げられない。
一期生の勢いある新人議員が言うならまだしも、
国や政権党の中枢で、
責任あるポストにある者の発言である。
当然発言した内容には、
その結果への責任を負うべき性格を帯びる。
しかし、その勇ましい発言とは裏腹で、
結果は芳しくなく、
それに対する責任の取り方が、
あいまいで無責任と映るのである。
八ッ場ダムの件など、
どれだけ多くの人を巻き込んだのか。
この数年間は何だったのか。
やるならば、徹底して自分の進退をかけて、
やるべきものだったろう。
政調会長を辞する、それほどの大きな問題だった。
この件を含め、実現の見通しが立たないなら、
最初の発言の時点で慎重な言葉を選ぶべきであって、
いかに思いつきで話しているのか、
と思わせるものがいくつも存在している。
そうしたことの積み重ねを見ていれば、
報道機関が「言うだけ~」という言葉を用いて報道するのは、
けっして的外れではない。
一定の読者の共感もあったのだろう。
これを一時の、それも個人的な感情に任せて、
記者会見を通じての国民への説明責任の機会を制限したとすれば、
自らの立場を私物化していることになる。
もし。
表には現れない、産経新聞サイドに
具体的な落ち度があるとすれば、
前原議員は、裁判により名誉棄損で訴えるなど、
その当該記事に関して個別に対応するべきであって、
その社自体を締め出すというのは、
あまりに逸脱しすぎている。
少なくとも、それに足る説明を現時点まで明確にしていない。
今回の件。
「前原議員VS産経新聞」
という構図で、私は捉えていない。
公党の政調会長が、
国民に都合のいい報道だけをしようとしている、
という「国民の知る権利への挑戦」と考えている。
ことは重大だ。
この前原議員が、
近い将来の首相の有力候補、
と言われていたと記憶している。
私はこの一連の行動を見るにつけ、
今後どんなに政策的に共感できることを彼が言ったとしても、
政治家として、彼を信頼できない。
だから彼が首相になることは、反対である。
今回の排除、締め出しの件も含め、
言動があまりに軽率すぎる。
もし民主党が前原議員の、
こうした姿勢を放任するならば、
党として認めたこととなる。
民主党は一日も早い原状回復の努力をするべきだろう。