• 「猫の手貸します」
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その時々の気の行くままに出かけ、
名も知らない海岸で初日の出を目に焼き付けつつ、
最寄りの寺社に参り、
さらに帰途の途上にある温泉につかって
自分の気持ちをマッサラにしてスタートする。
そんな小旅行を高校卒業後、
21年にわたり続けている。
今回。
何としてでも、
被災地に自らの身をおきたかった。
被災地でなければならない、
そんな強い思いに後押しされた。
そこで珍しく、
宮城県岩沼市の海岸へ、と目的を定めて、
除夜の鐘の余韻の残る暗闇の中、出発した。
3・11発災の時。
田んぼを凄まじい勢いで進む津波の映像に、
私たちは衝撃を受け驚愕した。
その被災地、名取市の南に隣接するのが「岩沼市」である。
ここも名取市同様の被害を受け、
100人以上の犠牲を出している。
3月12日の現地訪問で、
犠牲者に手を合わせ、負傷者を救助した。
そのとき見た光景。
根こそぎの破壊と変わり果てた姿。
寒さを肌に感じ、塩の臭いがした。
次に訪問したのは5月の連休時。
道路の瓦礫は撤去され、
救出場所は異なる風景となっていた。
ただ、海の近くの街は、
やはりブロック塀の一部を残し更地のままだった。
乾いた道路には埃対策の散水車が走り、
水のない干からびた田んぼには、
いまだにひしゃげた車が逆さになって放置されていた。
そんな記憶をたどりながら、
元旦の薄暗い被災地に入ったのが朝6時過ぎだった。
見える範囲でも津波の爪痕は感じられた。
ただその変化の方が、
つまり復旧の進展の方が、印象的だった。
堤防は建設途上。
車の残骸は海辺の一角に集められていた。
海岸線が赤みを帯びるにつれ、
海岸の霞がかった一点に目が釘付けとなる。
寒さも被災者を思えば何も問題ない。
そして…
今年の御来光と相成った。
ゆっくり色々考えたいと思ったが、
待ってはくれず、一気にかけ上る感じで、
その迫力ある丸みを見せつけてきた。
そのまま、上部の深い雲に吸い込まれ、見えなくなった。
何かを暗示しているとすれば。
ゆっくり構える暇はないぞ、ということなのか、
まだ復興は道半ば、ということなのか。
海岸沿いを目に焼き付けるように展望し、
車で被災地を広く回った。
やはり救出場所は、
更に復興が進み日常の風景になっていた。
特に年末年始の営業時間を知らせる、
床屋さんの手書きのチラシに、
人の気配を感じ、暖かみを覚えた。
仙台空港は業務は再開しているし、
まだ壊れたままの建物が散見されるが、
飛行機の飛び立つ姿には、強く印象づけられた。
海岸に近いところは、
やはり広く更地と化しており、
街の戻る気配はない。
倒れたアンテナ越しに太陽が上る姿が、
対照的であった。
この地のコンビニに入ったときには、
普通のどこにでもある店の風体だった。
動き始めている。
人が生活を営んでいる。
この地の人々は、
時間と共に、自らの手で少しづつ、
そして確実に進んでいた。