• 「猫の手貸します」

以下、前回の続きである。
国会の仕分けに注目していること、
議会はミクロの集合体的な実態となっていることを記した。
この「ミクロ」の集合体の構造自体、
私が良し悪しを言う立場にはない。
民主主義のルールの下、選挙という回路を通じて、
有権者が選択をしてきたのだから。
ただ、この構造が結果的に何をもたらしているのか、
に目を向ける必要はあるだろう。
現在、私たちのに日本社会は、
約1000兆円に上ろうという
金額の借金を抱えていることは周知の事実である。
この借金はいまだ増え続け、
「借金を返済するために借金をする」ような
体質になってきた。
この借金の内訳。
借金には大きく分けて
「建設」と「赤字」の2種類がある。
前者は、道路や下水道、公共施設など。
将来世代も恩恵を被ることから、
複数年度にわたる負担の公平性を
仕組みにしたものである。
なお、必要ではない公共事業には投じるべきではないが、
小泉政権時に公共事業のあり方が問われ、
すでに建設関係への借金は見直されてきている。
また、必要な公共事業は、今後も存在するから、
この借金の性質自体は理解できる。
問題は後者。赤字補填の借金だ。
一年間の公共サービス。
福祉や環境、市民生活に至るまで、
幅広い分野にわたるものだ。
この公共サービスの原資を、
誰が負担するのか、
どこからお金を調達してくるのか。
税金というルートと、借金というルート。
かなり乱暴に簡略化すると、こうなる。
前者は「今の世代」が負担し、
後者は「後の世代」の人々が負担する。
一年間の公共サービスの特徴は、
恩恵を受けるのは、
税金を払っている「今の世代」という点である。
ここで。
後世の人々の声なき声に耳を傾けたい。
「なぜ私たちが、自分たちのサービスではなく、
 あなた方のサービスの分まで負担しなければならないのか」
そんな声が聞こえてくるだろう。
忘れてはならないのは、
後世の人々は税の負担もするのである。
これに加えて借金分、
つまり私たちが負担を先送りした分も
上乗せして負担しなければならないのだ。
急増する介護、医療など医療福祉分野をはじめ、
経済活性化策に至るまで、
各分野に公のお金が分配される。
この恩恵を受けているのは「今を生きている世代」だ。
では負担しているのは、といえば、
「今の世代」+「後の世代」
ということなのである。
各種の公共サービスにより
恩恵を被っている今の世代の負担で完結せず、
足りないから後世の人々から借りているのが、
赤字補填の意味なのだ。
ここで。
私たちのモラルの問題として、
自分たちに係わるサービスは自分たちで負担することを
再確認しなければならない、と主張したい。
自分たちだけいい思いをしておきながら、
その支払いを後の世代に押し付けるというのは、
人間としてどうか、と思う。
この問題の解消のためには、
これは増税をしてでも、やらねばならないだろう。
増税議論はこの点を踏まえて行なわれるべきだ。
ところで。これは地方も同様だ。
地方交付税の財源が不足しているので、
「臨時財政対策債」という赤字補填の借金で、
自治体の財政をまわしている。
私の持ち場のさいたま市でも、
借金の割合で最も大きくなっている。
先日の決算審査においては警鐘を鳴らしたところだ。
いずれにしても。
このように国も地方も、
赤字分を後世に依存しているのである。
では。この問題を解消するために、
何をするのか、という点である。
結果的には増税をする、ということとなろう。
高齢化が進む中、
医療・年金・介護などの費用は右肩上がりである。
後世に迷惑を掛けないことを考えれば、
どう考えても増税をしなければならない。
ただ。
今、直ちに増税をする、
つまり市民に負担をお願いする段階なのか。
私は
「増税の前にするべきことがある」
と考えている。
これまでの支出の内訳を厳しい目でチェックし、
本当に必要なものに使用することを説明し、
増税に理解を示していく姿勢が不可欠だ。
まず。
議員や行政に掛かっているお金は、
そのままでいいのか。
まず自らの身を削るところからである。
議員の定数や待遇、そして政党助成金。
公務員のあり方や働き方、総人件費などの見直し作業を、
まず最初に進めなければならない。
野田政権が唐突に7%以上の公務員削減案を提示したが、
まず議員側の身を削る姿勢も積極的に示すべきだ。
街中に貼られているポスターなど、
国民・市民に何の益をもたらしているのか。
これは数百億に上る政党助成金により、
作成されているものである。
候補者サイドのための支出以外の何者でもない。
全廃とはいわないまでも、
少なくとも大幅な削減を試みるべきだろう。
天下りについては、
いまだに燻っているようだが、
もってのほかだろう。
さいたま市議会では、この数年間、
定数・報酬・政務調査費など
議会関係費用をを段階的に削減し、
また税金の使途の透明化を進めているが、
さらに不断の努力を続けていくことが必要との認識である。
国民・市民は、きっと増税にはすでに理解がある。
各種世論調査をみてもわかる。
しかし、具体論となった時、
税金の使い道として、
「必要のないもの」「削れるもの」にまで、
増税のお金を充てることには違和感を持つだろう。
そんな思いを察し、
まずは身を削ることからである。
それを前提として。
公共サービスの支出に切り込むこと、
つまりサービスの廃止、削減も、
実施していかなければならない。
これは大きな抵抗があり、
議員もその支持基盤の意を汲んで、
キャンペーンの先頭に立つだろう。
「止める」ことを決断するべき機関でもあるはずの議会。
ところが、議会はそれとは遠い位置にいた。
支出の見直し作業は、
「拡大」か「現状維持」の主張が多数を締め、
「廃止」や「削減」の決定はなされないのが現状だ。
結局、借金漬けのモラルハザードに、
議会は貢献してきたこととなる。
この反省を踏まえ、
議会はミクロの集合を返上し、
全体への奉仕者としての体質を取り戻さねばならない。
今後は、支出の拡大を提案するなら、
「○○を削る」という提案も同時にするべきだろう。
「削るのは行政がやってくれる」
そんな政治サイドの当事者意識の欠落が、
大きな行政を作ってきた原因の一因だろう。
この支出削減はもちろん、
事業仕分けという道具が、効果を発揮するというのが、
私の持論である。
さいたま市議会での仕分けの実施にこだわってきたのも、
こうした質の面での議会の体質改善のためだし、
国会で実施されるということに大いに注目をする理由である。
仕分け作業は政治家と支持者との距離を否が応でも、
自覚させられる機会となるのだ。
最後に。
現在、さいたま市議会では、
この仕分けを応用した行政評価の試みを検討している。
まだ実現の途上にはあるが、
2009年4月の行財政改革特別委員会の試行的実施、
2010年11月の会派「民主党・無所属の会」の実施、
に続くものとなるかもしれない。
当面、私は引き続きさいたま市議会での、
こうした取り組みに汗をかいていきたい。
時代の転換期というチャンスであり、
あらゆる先送りしてきたことを、
ここで清算する時なのだから。