• 「猫の手貸します」

東日本大震災において
「釜石の奇跡」といわれる
釜石市の子どもたちの避難劇は、
時間とともにさらに輝きを増している。
親に引き取られて学校から離れた子どもを除き、
実に約1500人の子どもたちすべてが避難し、
一切の犠牲を出さなかったのである。
そればかりか子どもたちがさらに小さい子どもを誘導し、
お年寄りの避難を誘導もした。
結果的に津波の被害を受けることとなった避難所からの
更なる避難を校長に進言し、
それを先導したのも彼らだった。
この子どもたちの避難劇の
立役者の片田群馬大教授の指導の下、
震災前に子どもたちは「避難3原則」を自らのものとした。
とにかく最初に逃げる人間となれ、
という指導が最初にある。
皆、何かと理由をつけて冷静を装い、
結果として逃げ遅れてしまうのである。
何より自分がたと違う行動をとることは恥ずかしい。
他人の目を気にしてしまう。
いいことをしようとしても、
他人の目が気になってできないことが
私たちの生活上も少なくないことから、
このことは容易に理解できる。
それを克服するため、まず最初の避難者たれ、
と片田教授は子どもたちに繰り返し伝えたのであった。
誰かが動き始めれば、皆、追随するのである。
勇気をもってその最初の一人たれ、ということである。
私は片田教授の話を聞くにつけ、
「奇跡」という肩書きはむしろ失礼であり、
時間をかけて子どもたちの意識に働きかけてきたからこそ、
今回の子どもたちの完全避難に繋がったのだろうと思うようになった。
それでも片田教授は、あと2、3年あれば、
子どもから親など大人たちにまで、
この意識が波及し広がっていただろうから、
3000人もの犠牲者を出さずに住んだと思うと残念でならない、
と言っていた。
このケースは、今後の災害を考える上で
私たちに大切な教訓を与えているように思えてならない。
さらに驚いたことに。
片田教授が亡くなった人を分析すると、
津波のハザードマップで安全な場所、
とされていた場所に住む人々の多くが亡くなっているのであり、
逆に津波に教われる場所に住む人々は避難して無事だった、
との事実があるというのだ。
犠牲者の声無き声に耳を傾けるとすれば、
常日頃から「私は安全だ」と思い込むことが、
いかに危険であるかを物語っている。
これこそ、災害への対応の肝なのだろう。
これはハードの防災対策の進展により、
油断を招くことへの警鐘でもある。
もちろん予防の意味で、
耐震化を図るなどハード面を整えたり、
ハザードマップで危険性を踏まえておくことは、
重要なことである。
だからこれを進めていくことに異論はない。
ただそれらはあくまで一定の想定に基づくもの。
災害には「想定外」が付き物である。
常に油断せず命を保持することに全力を尽くすことこそ、
そして、その意識を持ち続けることこそ、
もっとも大切なことだと教えられた。
現在までのところ、
そんなことがこの歴史的震災の教訓として見えてきている。