• 「猫の手貸します」

当たり前のことだが。
世界遺産の「原爆ドーム」は、
最初から原爆ドームという名前ではなかった。
広島県物産陳列館として開館し、
原爆投下当時は広島県産業奨励館と呼ばれていた。
そこには人の営みがあったのだ。
…8時15分まで。
現在は、平和記念公園となっているこの周辺には、
「猿楽町」「細工町」というまち並みが存在していた。
生存者たちの証言を通じて、
産業奨励館を含め、その復元を試みたのが、
『ぼくの家はここにあった』(朝日新聞出版)である。
付録のDVDには、CGにより、
当時の風景や音などが再現されている。
明治維新後、
日清戦争で軍都に位置付けられて以来、
豊かな都市として発展してきた。
この地域では、広島の中心地として、
人々が生活を営んでいたのである。
そのまちが、一瞬にして平面になった。
人が瞬時に消えてなくなるだけではなく、
建物もほとんどが爆風で吹き飛ばされてしまった。
被害状況だけを見れば、3・11の津波被害に似ている。
しかし、それとは話が違う。
壊滅的打撃を加えるための爆弾が、
人間の手によって作製され、実際に使用されたのだ。
人為的行為だけにより罪は重い。
あれから66年目の8月6日を迎えるにあたり、
この事実を今一度、念頭に刻みたい。